いつからそこに?大河ドラマ「鎌倉殿の13人」主人公・北条義時の墓が頼朝公の隣に!? (4/5ページ)

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頼朝公の法華堂跡から一度下に下りて東へ進み、すぐ左手(もしくはその一つ先)の石段を上ると義時の法華堂(と墓)跡があり、左手に「三浦やぐら(※)」を見ながら石段を上っていくと、三基の墓が見えてきます。

(※)宝治合戦に敗れ、滅亡した三浦一族が自刃したと伝わるやぐら。現在は供養塔が建立。

これは左から「鎌倉殿の13人」に登場する幕府のブレーン・大江広元(おおえの ひろもと)、その子で毛利家の祖先・毛利季光(もうり すえみつ)、そして頼朝公の落胤とも言われる島津家の祖先・島津忠久(しまづ ただひさ)の墓。

大江広元らの墓へ上る石段

※頼朝公の法華堂跡から山中を伝って三基の墓に出られる道もあるにはありますが、現在通行止めとなっているため、無理に通るのはご遠慮下さい。

鎌倉は幕府が滅亡した後、しばらくは東国の要衝として機能していたものの次第に寂れ、江戸時代にはすっかり荒廃していたところを薩摩の島津重豪(しげひで)、長州の毛利敬親(たかちか)らが整備したと言います。

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