吉幾三「シンガーソングライターとして、“残る歌”を作っていきたい」3つの元号を生き抜いて感じたこと (2/2ページ)

日刊大衆

すごく基本的なことだけど、今の時代、これができないヤツがけっこういるんです。

 数年前、ハワイに行ったとき、飛行機の中に赤ん坊を抱いた若いママがいて、その赤ちゃんが泣き出したことがありました。ママはオロオロして、機内食が出ても食べるどころじゃない。そうしたら60代くらいのご婦人が眉をひそめて「他の方に迷惑だから、あっちに行ったら」なんて言う。もう頭に来ちゃってね。わざと大きな声で、「全然迷惑じゃない。赤ん坊は泣くもんなんだよ。俺も泣いた。お客さんたちも、みんな泣いたよね?」と、言ってやった。そうしたら、他のお客さんが「その通りだ!」って声をあげてくれてね。そのご婦人はバツが悪そうな顔をして、寝たフリをしてた。最後まで謝らなかったね。

 その一方で後日、そのときのママからは手紙をもらいました。名乗ってないのに、わざわざ調べて「ありがとうございました」と。こういう気持ちが素晴らしいですよね。

 今、日本人から「ありがとう」「ごめんなさい」、そして「お互い様」という心が失われていっている気がしてしかたがない。だからこそ“昭和の男たちよ、しっかりしろ!”と言いたい。言うべきことは、ガツンと言う。昭和の男は、今の男たちのように“草食動物”じゃない。俺たちは“最後の男”なんですよ。そんな思いがあって、今回『おとこ達へ…』というアルバムを作りました。

 “歌”とは残っていくものです。だから僕は、一つの歌を最低でも1年は歌っていきたい。僕はシンガーソングライターとして、“残る歌”を作っていきたいんです。

吉幾三(よし・いくぞう)
青森県北津軽郡(現・五所川原市)出身。1973年、山岡英二として『恋人は君ひとり』でデビュー。1977年に吉幾三と改名し、自身の作詞作曲でリリースした『俺はぜったい! プレスリー』が大ヒット。また、1984年には『俺ら東京さ行ぐだ』が社会的な大ヒットとなる。以降、『雪國』や『酒よ』など、シンガーソングライターとして数多くのヒット曲を生み出し、他アーティストへの楽曲提供も多数。

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