悪場所から社交場へ。明治維新後、画期的な試みを取り入れた「守田座」から始まった日本の劇場スタイル (3/3ページ)

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3年後の明治8年、守田勘彌は守田座を新富座と改称。西南戦争をほぼリアルタイムで劇化した「西南雲晴朝東風」など時代をリードするような作品を送り出し、新富座時代と呼ばれる一時代を築きました。

しかし、その後新富座は火事や震災などの憂き目に遭い、借金はますます増大、守田勘彌はつらい晩年を送ります。しかし、現在につながる劇場のスタイルを作り、芝居見物のイメージそのものを変えた功績は計り知れません。

参考文献:「明治演劇史」渡辺保、「興行師列伝」笹山敬輔、「芝居絵に見る江戸・明治の歌舞伎」早稲田大学演劇博物館編、「歌舞伎」河竹登志夫、「江戸時代の歌舞伎役者」田口章子

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