「野球拳おどり」商標登録の裏にあった”萩本欽一との歴史的和解”とは (3/3ページ)

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それくらい、のどかな時代だったということです」(前出・記者)

 ところが、たしかに「宴会芸」ではあるものの、ジャンケンで負けると服を脱ぐというイメージが定着してしまったことに、拒否反応を示す松山市民も少なくなかった。そこで、当時の関係者が日本テレビに抗議。だが、聞き入れてもらえなかったというエピソードもある。

 その後、「野球拳おどり」はアレンジが施され、1970年夏には「松山まつり」にも登場。多くの連が出て演舞を繰り広げるイベントとなったという。

「それでも『松山 = 野球拳 = 負けたら服を脱ぐ』というイメージを嫌う人も多く、ロック調やサンバ調にアレンジしても、今ひとつ盛り上がらない時期もありました。そんな時、『野球拳 = 服を脱ぐ』というイメージを植え付けた張本人である萩本さんが野球チーム『茨城ゴールデンゴールズ』を連れて、春祭りに参加してくれたことがあったんです。2005年のことですが、萩本さんは『野球拳おどり』に飛び入りで参加した後『本当の野球拳を知らなかった。(野球拳の)先輩に申し訳ないことをした』と謝罪してくれ、結果『歴史的和解が成立した!』というわけです」(前出・記者)

 今回の特許庁による商標登録で、関係者は「野球拳おどりが松山発祥の郷土芸能であるという法的根拠ができた。より普及しやすくなるのでは」とコメントしているが、やはり、欽ちゃんとの歴史的和解は大きかった!?

(灯倫太郎)

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