外野手から投手に転向!衝撃デビューの日ハム・育成選手は遠回りの野球人生 (2/2ページ)

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しかし、入学から半年も経たないうちに退学してしまい、大阪偕星学園に編入した。3年生では夏の甲子園にも出場しているが、下位指名となったのは、高野連の規則が影響していた。転校生は1年間、公式試合の出場が禁止されており、データが少なすぎるため、どの球団も指名には慎重にならざるを得なかったそうだ。

「高校時代は外野手兼投手。プロ入り後はすぐにスイッチヒッターに挑戦するなど、身体能力、野球センスの高さを見せつけていました」(球界関係者)

 時折、栗山英樹監督だけではなく、二軍首脳陣も「ちょっとブルペンで投げてみろ」と“二刀流”を勧めていた。しかし、本人は「打って、守れて、走れる陽岱鋼選手みたいになりたい!」とし、2年先輩にあたる大谷翔平選手の追随を良しとしなかった。

「20-21年オフ、戦力外を一度受け、育成選手として再契約しました。今年6月、登録を外野手から投手に変更しています」(同前)

 僅か2カ月で豪速球が蘇り、曲がり幅の大きいスライダーも投げ込んでくるのだから、投手としての伸びしろは十分すぎるくらい持っている。

 ちなみに、この日の"主役”のハイネマンだが、姫野との対戦はなかったが、先発した吉田輝星の直球に振り遅れており、2三振を喫した(3打数無安打)。吉田もこの日は真っ直ぐがキレキレだったとはいえ、メジャーリーガーに比べれば球速は平均レベル。つまり、ハイネマンはファーム戦1試合で「速いボールに対応できない」という弱点を露呈してしまったわけだ。

 陽岱鋼ではなく、大谷に憧れていたら…。姫野のプロ野球人生は違っていたかもしれない。

(スポーツライター・飯山満)

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