刺し殺した友人の肉を…奈良時代のやんごとなき貴公子・葦原王のエピソード

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刺し殺した友人の肉を…奈良時代のやんごとなき貴公子・葦原王のエピソード

かつて中国大陸では好んで人肉を食する風習があり、殺した敵を食い、飢えた親が子を殺して食い、あるいは貴人をもてなすため夫が妻を殺して調理し……などと言ったエピソードがゴロゴロ。

葛飾北斎『絵本通俗三国志』より「劉安 妻の肉を煮て玄徳に献ず」場面

現代では考えられない価値観ですが、日本の歴史においても凄惨な食人事件とまったくの無縁ではなかったようです。

今回はそんな一人、葦原王(あしはらおう)のエピソードを紹介。彼は一体どんな事情で人の肉を食ったのでしょうか。

生まれた時から凶暴で……?

葦原王は天武天皇の孫に当たる山前王(やまくまおう)の子として誕生しました。母親は不明、姉妹に池原女王(いけはらじょおう。母は栗前氏)がいます。

生年は不詳ですが、父の山前王が養老7年(723年)に亡くなっているので、それ以前に誕生したのは確かでしょう。

勅撰史書『続日本紀(しょくにほんぎ)』によれば生まれつき凶暴な性格だったそうで、酒を呑んだくれては暴れ回ったと言います。

酔っ払って抜刀する葦原王(イメージ)

こうした非行の動機は史料に詳述されていないため推測するよりないものの、恐らく正室であったろう栗前(くりくま)氏の子である池原女王に愛情が注がれ、身分の卑しい(史書に名が記録されない)母の子である自分には愛情が注がれなかった……。

とまぁ、そんな現代でもありがちな感情のこじれだったのかも知れません(後世の史料では結果から原因を導き出しがちなので、その辺りは差し引いてあげる必要があるでしょう)。

衝動的に友を刺殺し、その肉を……

さて、呑んで暴れて好き放題に暮らしていた葦原王は、天平宝字5年(761年)に御使麻呂(みつかいのまろ)と呑んでいた時、談笑していたかと思ったら突如としてキレ出します。

「……○×△っ!?!」

その動機は不明ですが、ちょうど博打(サイコロ?双六?)に興じていたそうですから、恐らく負けた腹いせに「イカサマしやがって!」とか、まぁそんなところでしょうか。

「ぎゃあ……っ!」

懐中から抜いた短剣で御使麻呂を刺し殺した葦原王は、その遺体を仰向けに蹴転がすと股肉を削ぎ取り、胸板を俎板がわりにその肉塊を切り刻みました。

「これにテキトーな調味料を合わせて……と」

ズッタズタに切り刻んで気が済んだのか、葦原王は御使麻呂の肉を膾(なます)に仕上げ、酒の肴とばかりに平らげてしまいます。

「うむ、美味そうだ」……酒の肴にはこれが一番!?

「うん、まぁ……安っぽい味だが、食えなくはないな」

いい気分になった葦原王が大文字で引っくり返っていたところ、悲鳴を聞きつけた人々によって惨状が通報され、たちまちお縄になってしまったのでした。

皇族の身分を剥奪され、種子島へ

さて、やんごとなき方の猟奇殺人事件とあって、朝廷当局ではその対応に大わらわ。

「皇族の方を処断するようなことがあれば、朝廷の権威に傷がついてしまう……」

「さりとて、このまま無罪放免では、臣民に示しがつかぬ……」

「とは言っても平民と同じ罪に問うたら、犯行の悪質さから極刑は免れぬ……」

「なにぶん前代未聞の事ですから……」

平素の行いも行いだったため、捜査を進めると余罪も出るわ出るわ……けっきょく淳仁天皇(じゅんにんてんのう。葦原王のいとこおじ)の計らいによって死一等を減じ、種子島へ配流とされました。

「死一等を減じ、種子島へ配流とする」

また、皇族の身分は剥奪されて臣下(臣籍降下)となり、竜田真人(たつたのまひと)という姓(かばね)を与えられます。

真人とは皇室の子孫であることを証し、竜田とは当時の都・平城京より近かった竜田山(たつたやま)と思われ、当地にゆかりがあったのかも知れません。

子女6名と共に種子島へ流されていった葦原王はそれっきり歴史から姿を消しますが、恐らく現地で野垂れ死んだのでしょう。

以上、文字通り「人を食った」葦原王の生涯をたどってきましたが、史料にはこのショッキングな事件を除いてほとんど記述がなく、それまではごく真面目な(そして目立たない)優等生だった可能性も考えられます。

「あんなに真面目でいい人が、何で……」現代でもよくある話し?

それが御使麻呂を殺して食った一件でにわかに騒がれるようになり、周囲の者が「そう言えば昔から凶暴だった」などと尾鰭をつけたのではないでしょうか。

日ごろ物静かで真面目な人がストレスをため続け、酒をキッカケに暴発した……それで殺人を正当化することなど出来ないし、ましてその肉を食らうなんて正常ではありませんが、少しは同情の余地があったのかも知れません。

※参考文献:
上田正昭ら監修『日本人名大辞典』講談社、2001年12月
宇治谷孟『続日本紀(中)全現代語訳』講談社学術文庫、1992年11月

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