剣豪集団・新選組は西洋式の軍隊だった!?土方歳三と二股口の戦いの前後から、その真相を読み解いた (2/6ページ)

Japaaan

局長という役職名には、京都守護職の配下の一員として職務に精励する、という意識を持たせる意味もあったようです。

さらには、副長助勤にも特別な意味が込められています。

助勤」とは、当時の最高学府・昌平坂学問所の寄宿舎の職員の役職名でした。

昌平坂学問所は、儒学を教えていた場所です。当然、助勤という響きには儒学的な響きを帯びていました。

昌平坂学問所

新選組結成時は文久3(1863)年ですから、尊王攘夷運動が盛んな時期です。

西洋式の軍隊を取り入れる際、隊士たちが反発しては困りますよね。だからこそ、歳三ら幹部は「局長」と「助勤」という響きで、西洋軍隊の組織編成を隠した、と見て取れます。

新選組のダンダラ羽織

新式銃部隊の指揮官、陸軍奉行並・土方歳三として二股口の戦いを勝利に導く

剣豪集団・新選組は、銃や大砲の新式装備には縁がなかった、と多くの方は思われているかも知れません。

しかしそれは違います。

文久年間から新選組では、新式銃(ゲベール銃)を購入して調練を開始。大砲の試射も行っていました。

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