戦国時代に生まれたド変態!戦国大名・畠山義続の欲望にまみれた驚愕エピソード (2/2ページ)
追放後は、縁戚関係だった六角家のもとに行き、永禄11年(1568)に能登奪還を目指しますが、敗れました。
義続にまつわる変態エピソードここからは義続にまつわる変態エピソードをご紹介します。
ある時、義続は家臣たちの娘たちを集めて、お馬責めなる遊びを行いました。これは娘たちに馬を乗ってもらい、走らせるというもので、馬の扱いに慣れてない娘たちはたちまち落馬。
そして、まくれ上がった着物からは陰部が丸見えとなり、それを見て義続は喜んでいました。
まだまだあった変態エピソード!これだけでも十分変態ですが、この話には続きがあります。
落馬する娘たちの中で唯一落馬せず馬を乗りこなしている娘を義続は妾にしたいと思い、娘の親・遊佐続光(ゆさ-つぐみつ)に差し出すよう要求しますが、拒否されます。
そこで、義続は続光が留守の時に家に押し入り、娘を強奪。しかも、娘の陰部には毛が生えてなかったので、桃のような陰部をずっと眺めていたそうです。
このような異常行動が家臣たちの愛想を尽かせ、国外追放の要因となったともいわれています。
最後に義続は一見すると家臣たちの内紛に巻き込まれた苦労人と思ってしまいそうですが、義続の異常性があったからこそ家臣たちをまとめることができなかったと考えると、自業自得のように思えてしまいます。
もっと当主としての人望があったら、家臣たちの反乱も起きなかったかもしませんね。
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