戦国時代に生まれたド変態!戦国大名・畠山義続の欲望にまみれた驚愕エピソード (1/2ページ)

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戦国時代に生まれたド変態!戦国大名・畠山義続の欲望にまみれた驚愕エピソード

みなさんは畠山義続(はたけやま-よしつぐ)という戦国大名をご存知でしょうか。義続は能登国の戦国大名であり、自身の肖像画が武田信玄のものとして使用されていたことで、一部の方には認知されている戦国大名です。

そんな義続ですが、自分の欲望と本能のままに振る舞ったことで畠山家を追い出された人生を追っていました。

武田信玄の肖像画とされているが、畠山義続の肖像画ともされている/Wikipediaより

今回は義続の欲望にまみれた変態エピソードとその後をご紹介します。

畠山義続のご紹介

まず、畠山義続のことを知らない方のために義続はどんな人物だったのか解説します。

義続は能登国(現在の石川県北部)を治める能登畠山家の8代目当主に当たります。

また、義続が当主になった天文14年(1545)頃には能登畠山家の家臣団による内紛が勃発。これを抑えることができなかった義続は、責任を取る形で嫡男・畠山義綱に家督を譲り、隠居しました。

その後は、能登畠山家の傀儡化を目論んだ重臣たちが結成した能登七人衆の筆頭・温井総貞(ぬくい-ふささだ)を義綱が誅殺し、権力回復を果たします。

しかし、永禄9年(1566)に権力奪還を計った能登七人衆が武装蜂起。このクーデターは永禄九年の政変と呼ばれ、これにより義続親子は国外追放となりました。

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