明治時代、数々の政敵を葬り去った冷血漢・大久保利通の意外な一面「すべてはこのひとときのため」 (2/3ページ)
わしらの汚職も摘発されず)一安心じゃわい……
これらの記述は大久保の日記ですが、かねてより政治的に対立していた江藤に対して、わざと「江東」と漢字を間違えるなど、いかにも「嫌なヤツ」感たっぷりですね。
ちなみに斬首された江藤の生首写真を印刷し、各地にばらまかせたのも大久保の指示。政敵とは言え、死者に対する辱めに、心ある日本人は心を痛めたと言います。
そんな日本国民の怨嗟を一身に受けた大久保は明治11年(1878年)5月14日、東京府麹町区紀尾井町清水谷(現:東京都千代田区)で旧加賀藩士の島田一郎(しまだ いちろう)らによって斬殺されました。
大久保の死骸は全身16か所の傷を受け、うち8か所は頭部への斬撃。また首へは地中深く刀が突き立てられ、緊急事態に駆けつけた前島密(まえじま ひそか)は
「肉飛び骨砕け、又頭蓋裂けて脳の猶(なお)微動するを見る」
【意訳】肉は飛び散り骨もズタズタ、頭の傷からむき出した脳髄が、まだビクビクと動いている……
と生々しく表現。人々の怨みがいかに深いものであったかが察せられます。
権謀術数の限りを尽くして権力の頂点を極めた大久保の無残な最期を知り、維新に失望していた者たちは大いに湧き立つと共に、武力による世直しの限界を悟り、自由民権運動の時代に突入していくのでした……。
すべてはこのひとときのため……冷血漢の意外な一面さて、そんな「悪役」大久保利通ですが、これが我が家の中では、少し違った顔を見せたようです。