総大将は16歳の少年キリシタン。悲しき運命に翻弄された「天草四郎」の実像【後編】 (2/3ページ)

Japaaan

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その総大将となったのが、わずか16歳の少年であった天草四郎だったのです。カリスマ性のある予言の子として「救世主」に祭り上げられました。本人の意思というよりは、一揆を先導していた父や浪人たち、キリシタンらによって担ぎ出された可能性が高いです。

天草四郎は、戦い方も総大将としての心構えや覚悟もよくわからないうちに「島原の乱」の総大将として幕府軍と相対するのです。

島原で起こった一揆には、天草での反乱で離反した武士など総勢37,000人もの人々が集結しました。これだけの人々が集結したのは、天草四郎の持って生まれたカリスマ性が大きかったのかもしれません。総大将となった天草四郎は、4カ月に及ぶ『島原の乱』を戦っていくことになったのです。

天草四郎の最期

幕府側は3度戦ってすべて敗戦したため、兵糧攻めに作戦を変更します。この結果、反乱軍は勢いを失いました。天草四郎が法度によって一致団結させ、勢いを取り戻そうとします。しかし、反乱軍は食料を全く取れず限界寸前。その時、幕府側の一斉攻撃が始まり、関わったものは皆殺しにされてしまいます。結局内通者の南蛮絵師だった山田右衛門作(やまだえもさく)のみが生き残ったのです。

幕府側は、総大将だった天草四郎の顔を実は全く知りませんでした。そこで皆殺しにした後、年頃が同じ位の少年たちの首を天草四郎の母親にかわるがわる見せたのです。すると、ある少年の首を見た母親の顔色が変化し、泣き崩れました。その様子を見て、天草四郎の首と判断したのです。

天草四郎はキリシタンや領民達と命尽きるまで戦い、16歳というあまりにも短い生涯を終えたのでした。

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