総大将は16歳の少年キリシタン。悲しき運命に翻弄された「天草四郎」の実像【後編】 (1/3ページ)
前編では、天草四郎の人物像や伝説について紹介しました。後編では、天草四郎が歴史の表舞台に現れる『島原の乱』と彼の最期、噂について解説します。
前編の記事はこちら
天草四郎が歴史の表舞台に現れた『島原の乱』。島原の乱という一揆が起こった背景から、悲しい運命をたどった少年の軌跡を解説します。
島原の乱総大将として祭り上げられた少年島原藩のキリシタン弾圧が激しさを増し、領民は年貢を払えなくなるほど生活に困窮していました。最悪の藩主松倉勝家(まつくらかついえ)は、キリシタンや年貢を払えなくなった領民に対し非人道的な拷問や処刑を行います。領民やキリシタンらの我慢もとっくに限界を超えていました。そんな中、遂に1637年12月11日「島原の乱」が勃発します。
おろかで無能な藩主。