【鎌倉殿の13人】源頼朝と大庭景親が再度の激闘…「六本松古戦場」を訪ねてみた (2/4ページ)

Japaaan

時うつりて塚の姿もいつしか消え消失しようとした。藤沢市関係者の計らいで再び旧姿を取り戻すことが出来た。
心ある方の供養をのぞみます。
湘南通り一丁目町内会
六本松史跡保存会」

伝承によると、この一帯で鎌倉へ入ろうとした頼朝公と、大庭景親が戦ったそうです。

六本松の古戦場・由緒書き。文字が風化して読みにくいものの、地元の方々より愛されてきたことを彷彿とさせる

石橋山から脱出した頼朝公は相模湾から房総半島へ渡り、東京湾をぐるりと回りこんで鎌倉へやってきました。

鎌倉へ北から入る場合、わざわざ西側の藤沢へ回り込む必要はないはずですが、もしかしたら鎌倉の北側は敵の守りが堅く、攻めあぐねた頼朝公は西側から回りこもうとしたのかも知れません。

しかし、そうした記述は鎌倉幕府の公式記録である『吾妻鏡(あづまかがみ)』になく、多数の勇士が討死したほどの戦さであれば、記録がないのは不自然です。

とは言ってもすべてがフィクションで、この場所で何も起こっていなかったとしたら、供養塔まで建てて弔うのはやはり不自然と言うもので、頼朝公が鎌倉入りする時期の前後に、ここで何かしらの戦闘が行われた可能性もあります。

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