総大将は16歳の少年キリシタン。悲しき運命に翻弄された「天草四郎」の実像【前編】 (2/3ページ)

Japaaan

父は小西行長(キリシタン大名で関ケ原の戦いで斬首)の家臣でした。学問のため、何度か父に連れられて訪れた長崎でキリシタンとなります。洗礼名は「ジェロニモ」でした。しかし、一時キリシタンであることを捨てたと見せかけた時期もあったため「フランシスコ」に変化しています。

天草四郎は、少年ながら人の上に立つ器を兼ね備えていました。恵まれた家庭に育ち、教養があったばかりでなく、突出したカリスマ性を持ち合わせていたと言われています。

さらに、天草四郎は、「予言の子」と呼ばれていました。生まれた時から特別視されていたのです。江戸時代キリシタン弾圧が激しくなる中、宣教師ママスコが天草地方から追放される際に言い残したことがあります。「16歳の少年がキリスト教の教えを信仰する者たちを救う」というものでした。それがまさに天草四郎と一致したのです。

「予言の子」であり、教養があってカリスマ性のある少年「天草四郎」。周りの大人たちから見ても、天草四郎は人を引き付ける魅力にあふれた少年に映っていたのでしょう。

天草四郎の容姿

天草四郎像

天草四郎を美少年に描いたイラストや書物は少なくありません。しかし、写真などが残っているはずもありません。肖像画も後世にキリシタンの少年使節団などを真似て描かれたものです。

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