斬首の寸前まで婦女子を想い…。罪なくして殺された?幕臣・小栗上野介の生涯に迫る (2/2ページ)
斬首の前に何か言い残すことはないかと聞かれた彼は、
「私自身には何もないが、母と妻と息子の許婚を逃がした。どうかこれら婦女子にはぜひ寛典を願いたい」
と答えたといいます。
小栗上野介の人物像・評価小栗上野介は、幼いころからいたずら好きの子どもと周囲からは思われていましたが、成長とともに文武どちらにも優れた才能を発揮しました。
14歳ごろにはすでに自分の意見をしっかりと周囲に主張するようになったといいます。日米外交においても大きな功績を残し、近代文明を直接目にした彼は、横須賀造船所を作ったり、アメリカから工業製品を持ち帰ったりもしています。
また、後世の評価としては、作家の司馬遼太郎が著書『明治という国家』のなかで小栗上野介を「明治の父」と述べ、日本の近代化に尽くした人物として評価しています。
いかがでしたか?今回は、小栗上野介についてご紹介しました。この記事が、みなさんが少しでも歴史に興味を持つきっかけになれば嬉しいです。
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