織田信長をも苦しめた戦国最強の鉄砲傭兵・地侍集団「雑賀衆(さいかしゅう)」とは? (2/2ページ)

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当時、どのように鉄砲を一定量用意できたのかは明らかになっていませんが、鉄砲の材料となる硝石が雑賀はもとより日本国内でも生産されていなかったことから、外国から輸入したのではないかと言われています。

これについても、雑賀衆は海運を営んでいたことから、簡単に手に入れることができたのではないかと考えられています。

雑賀衆と織田信長

織田信長

織田信長と一向宗の総本山である本願寺が対立した際には、雑賀衆は本願寺側に味方します(雑賀の土地には一向宗のお寺が多かったことが理由です)。

彼らは大活躍し、特に信長が海上ルートを封鎖しようとした際には、貿易に強みがあった雑賀衆が撃退しています。信長はこれにより苦戦を強いられ、両家はその後10年にもわたる争いとなりました。

いかがでしたか?
この記事が、みなさんが少しでも歴史に興味を持つきっかけになれば嬉しいです。

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