ありがたや!部下にとっておきの煙草を惜しみなく分け与えた西郷どんのエピソード

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ありがたや!部下にとっておきの煙草を惜しみなく分け与えた西郷どんのエピソード

♪既に煙草はなくなりぬ
頼む燐寸も濡れ果てて
飢え迫る夜の寒さかな
飢え迫る夜の寒さかな……♪

※八木沼丈夫 作詞『討匪行』より

昔から煙草は兵士の慰安・嗜好品として親しまれており、筆者も海上自衛官時代は身の回りの多くが喫煙者でした。

さて、喫煙者にとって煙草(ニコチン)が切れるのは腹が減るよりも辛いものらしく、それは戦闘中のような極限状況下であっても変わらないはず。

そんな状況下でもらう煙草は何ものにも代えがたく、まさに「恩賜の煙草(※)」とはそのありがたさ、嬉しさをよく表しているものです。

恩賜の煙草。Wikipediaより(撮影:uaa氏)

(※)厳密には天皇陛下から下賜された煙草(平成19・2007年に廃止)を指しますが、転じて特にありがたく、嬉しい状況で手に入る煙草をそう呼ぶことも。

今回は明治10年(1877年)の西南戦争に際して、西郷隆盛(さいごう たかもり)から煙草を拝領した青年兵士のエピソードを紹介したいと思います。

「善か品を呈げんなら」西郷先生のとっておき

西郷隆盛の右腕として名を馳せた元「人斬り半次郎」こと桐野利秋(きりの としあき)の甥に、根占潔(ねじめ きよし)という者がいたそうです。

「あぁ……煙草が吸いてぇ……」

城山に立て籠もっていた西郷軍は官軍に包囲され、外部からの補給を遮断されてしまいました。当然、煙草も底を尽きます。

城山に立て籠もる西郷軍、最期の決戦。「鹿児島城山戦争之図」

あれもこれも足りない中で、何より煙草の吸えないのが一番辛かった喫煙者たちは、何か代用になるものはないかとその辺に生えている草や木の葉を干して吸ってみるなど試行錯誤。

たまにギャグ漫画などで(ごくまれにリアルでも)見かける風景ですが、本気でそこまでして吸いたいものなんですね。

「ゲホゲホ、やっぱりこんなのじゃダメだぁ……」

「やっぱり本物の煙草が吸いてぇ。西郷先生なら、まだ貯えがあるんじゃなかろうか?」

と言う訳でさっそく根占潔は西郷の元を訪ねます。

「西郷先生。煙草の無かことなりもしたから、少しお分け下さらぬか」

気前のよい西郷のことだから、きっとある中からいくらかでも分けてはくれるだろう……そう期待してお願いしてみたところ、西郷はいつもの調子で答えました。

「さうや、そいなら、善か品(と)を呈(あ)げんなら(意:そうか。それならよいものをあげよう)」

そう言って西郷は上等な刻み煙草の袋を取り出して封を切り、その大部分を鷲づかみにして惜しげもなく分けてくれました。

「こんな上等なものを、しかもこんなに沢山いいんですか?」

肥後直熊「西郷隆盛像」

「それで最後じゃから、みんなで分けろ」

くれるにしても、普段吸っている安い煙草をちょっと(何なら恩着せがましく)分けてくれる程度かと思っていたのに、それまでとっておきにしておいた上等の煙草を、みんなのために惜しげもなく分けてくれるとは……。

そんな西郷の姿に感動した根占潔は、これをおし戴いて陣地に戻り、みんなに分けます。自分の分は一服だけ吸うと、残りは大切にしまい込んで

「此物(こんと)は先生が與(く)いやつたとぢやツて、死ぬまで御神符(おまもり)にすッとぢやらい

仲間にそう語って、最期まで大切にしたそうです(恐らく討死したものと思われますが、記録がありません)。

終わりに

城山籠城の際、諸物窮乏の中にも、喫煙者は煙草の缺乏を苦しみ、草木の葉を乾して之を吸用す。一日根占潔(桐野の甥)といふもの思ふには、今時煙草を所持するは、西郷先生の外ある可からずと。因つて先生の居所大手口(照国社裏手上り口)の上なる兒玉邸(今、鉄砲臺あり)を訪うて、「先生煙草が無かことなりもしたから、少し給はんか」と懇請しければ、翁は、「さうや、そいなら、善か品を呈げんなら」と言つゝ、やをら身を起して、背ろの袋戸棚より上等刻煙草の袋を取り出し、封を切り、大部分を鷲攫みにして與へける。根占は、翁が座右常用の煙草にても與へらるゝと思ひの外、珍蔵の優良品を惜氣もなく惠まるゝに會うて、感激の餘り、おし戴いて還り、其を吸はゞこそ、「此物は先生が與いやつたとぢやツて、死ぬまで御神符にすッとぢやらい」と傍輩に語つて大切にしたりと。(後略)

※参考文献「逸話」より

非喫煙者からすれば、ただ「西郷さんに頼んで、煙草を分けてもらった」だけに過ぎないエピソードですが、喫煙者にしてみれば、まさに干天の慈雨にも等しい喜びだったことでしょう。

梅堂國政「鹿児島再乱 西郷隆盛最期弌戦」

もらった根占潔の喜びはもちろんのこと、あげる西郷さんとしてみれば、まさに自分の命を削って相手に施すくらいの痛みをともなったはず。

自分を慕って兵を挙げ、生死を共にしてきた部下たちを我が子のように慈しんだ西郷さんらしいエピソードとして、人々に親しまれています。

※参考文献:
山田済斎 編『西郷南洲遺訓 附 手抄言志録及遺文』岩波文庫、1939年2月

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