徳川家光からの信頼大!酒井忠勝(さかいただかつ)の知られざる逸話をご紹介 (2/2ページ)
また、家光は若いころ夜になると江戸城を抜け出していましたが、これは小姓の山城守の屋敷を訪れていたのです。
ある寒い夜、家光が屋敷から帰る際、草履が温かかったことに感動しましたが、これは山城守ではなく、密かに警護していた忠勝による心遣いでした。
酒井忠勝と神楽坂![](https://image.dailynewsonline.jp/media/9/c/9c062f8354556e3a198a8946edf6a1b21ec3a990_w=666_hs=9cad513415cc5e0378cdfc899ab6d3e3.jpeg)
おしゃれな料亭などが立ち並ぶ神楽坂。現在の神楽坂通りが整備されたのは江戸時代のことでした。
実はこのことにも酒井忠勝がかかわっているのです。寛永5年(1633年)に当時大老だった酒井は、矢来に屋敷地を得ました。
そして、酒井家の下屋敷と牛込御門を結ぶ道を登場の道として整備したことが、神楽坂の原型になったと言われています。
いかがでしたか?この記事が、みなさんが少しでも歴史に興味を持つきっかけになれば嬉しいです。
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