生兵法は怪我のもと…武士道バイブル『葉隠』が説く奉公の心得を紹介 (2/3ページ)
……中野神右衛門とは『葉隠』の口述者である山本常朝(やまもと じょうちょう)の祖父で、彌永佐助については詳細未詳ながら、祖父の同僚か少なくとも同じ佐賀藩士と思われます。
無益とはいささか極端ではありながら、下手に学んでしまうと、いざ有事に際して「不利だから逃げよう」「こう命令されたが、あぁすべきだ」など、勝手な判断を生み出しかねません。
個々の兵士がめいめい勝手に戦っては組織としての統制がとれず、勝てる戦さも勝てなくなってしまうでしょう。
目をふさいで、とは別に心眼で見るなどではなく、こういう勝手な判断をすることなく主君の命令を忠実に遂行することを言い、一歩でも前へ踏み出して敵を倒す心がけこそ最優先であることを主張しています。
(言うまでもなく、本当に目をつぶって敵に突っ込むようなことをしてはいけません)
主君の命令を一切の迷いなく遂行できる段階に達してから、初めて目の前の敵を倒し、任務を遂行する武芸を身に着け、更には全体を見渡せる軍略を備えるべきです。
ただし、軍略を備えても然るべき指揮権を託されるまでは差し出がましいことはせず、全体の中で自分がどのように役立つことができるか、裁量内で行動すべきでしょう。