「憎たらしい姑そっくりで、殺意さえ感じた」母が「毒親」に変わる時 (1/2ページ)
ここ数年で「毒親」という言葉はすっかり広がった。
虐待やネグレクトなどで我が子を苦しめる親や、子どもを支配しようとする親、あまりにも過保護すぎる親など、子どもを苦しめる親に対して「毒親」という言葉が広く使われるようになっている。
大学教授で、長らくカウンセリングルームでカウンセラーを務めてきた袰岩秀章氏の著書『毒親の彼方に』(幻冬舎刊)は、「毒親」とはどんな親なのか(どんな親であれば毒親ではないのか)、毒親から自由になるとはどういうことなのか、自由になるまでのプロセスなどについて、実例を交えて解説していく。
■「憎たらしい姑そっくりで、殺意さえ感じた」ではどんな人間が、どのように「毒親」になるのか。
母娘関係に焦点をあてている本書だが、いくつかのパターンが示されている。
その一つが、我が子に愛情を感じられないことで毒親になるパターンだ。たとえば、生まれてきた娘を見た瞬間、「憎たらしい姑そっくりで、殺意さえ感じた」という母親がいる。
もちろん、本当に我が子を殺そうとしたわけではないし、暴力をふるったわけでもない。ただ、どうしても我が子を愛することができなかった母親は姑に対するように娘と接したという。
「余計な口は利かせないってことですかね、こちらも話すことは必要最低限にとどめて。娘が何か口を開くと、じろっとにらんでやるんですよ」(P 20より)
暴力や暴言がなくても、娘からしたら母の放っている威圧感に脅されているような感覚を持っていたことは想像に難くない。娘に罪はないのはもちろんだが、「毒親」を考える時に、母娘関係以外の人間関係(ここでは嫁姑関係)が影を落とすことがあるというのは重要な指摘かもしれない。
■「娘はわたしの言うことだけ聞いていればいい」娘を憎む毒親がいる一方で、娘を可愛がる毒親もいる。
「娘はわたしの分身ですから、わたしの言うことは聞かないといけません。