あなたの「金田一耕助の時代」はいつ?~復古神道と『ひぐらしのなく頃に』~

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あなたの「金田一耕助の時代」はいつ?~復古神道と『ひぐらしのなく頃に』~

あの作品の時代設定は……

読者の皆さんは、『ひぐらしのなく頃に』という作品のことはご存じでしょうか。2000年代初頭に同人ゲームが販売されたことをきっかけに爆発的に流行し、漫画やアニメなどでのメディアミックスも進んだ作品です。

ストーリーの概略を言うと、時代は昭和。寂れた架空の村落を舞台に、古い因習「綿流し」に関連して発生する連続怪死・失踪事件を扱った連作式のミステリーです。

と聞かされると、おそらく『ひぐらし』のことを知らない人はすぐにこう思うのではないでしょうか。「ああ、金田一耕助ものみたいな話なのかな」と。

古い因習の残る村落でおどろおどろしい事件が起きる、という状況設定は確かに似ています。私たちが、「金田一耕助もの」と言われて即座に頭に浮かぶああいうジャンルの一種なのは間違いないでしょう。

『ひぐらしのなく頃に』の舞台のモデルとなった白川郷(岐阜県大野郡白川村)

ところで、私は小さい頃、映画やドラマで観ていた金田一耕助ものの時代設定がずっと「戦前」だと思っていました。実際には『獄門島』の冒頭で金田一耕助は戦地から引き揚げてきており、そこからいわば「戦後編」となっていることに気付いたのは、中学生になってからです。

単に作品をよく観ていなかった・あるいは読んでいなかっただけなのですが、おそらく私の中には、あの「昔ながらの因習が残る地域共同体でのおどろおどろしい殺人事件」の舞台は、戦後ではなく戦前の方こそふさわしいというイメージがあったのでしょう。

もちろん、それは無知ゆえの勝手なイメージです。

それで『ひぐらしのなく頃に』ですが、皆さんはこの作品の舞台設定はいつ頃だと思いますか? イメージしてみて下さい。

答えは、1983(昭和58)年です。

これを、妥当な時代設定だと感じるかどうかは人それぞれですし、作品を見てみなければ判断のしようもないですが、私はこの設定に驚きました。1983(昭和58)年なんてつい最近の時代だと思っていたからです。

ちなみに作者がこの時代設定を選んだのは、ミステリ作品として必然的な理由があったわけではなく「ノスタルジーを感じられる時代にした」からだそうです。イメージ優先の設定だったんですね。

これを知って驚いたのです。私にとってはついこの間と感じていた1983(昭和58)年が、若い人から見ると自分にとっての「戦前」にあたるイメージなのだなと思いました。つまりそれが、『ひぐらし』の作者にとって、そして私にとっての、それぞれの「金田一耕助の時代」なのだということです。

古代こそが理想!それが復古神道

しかしこういうジェネレーションギャップは、今に始まったことではありません。私にとっては終戦直後や高度経済成長期なんてとても古い時代の話に感じられますが、もっと年配の人から見れば、つい最近のように感じられるでしょう。

その時代の空気を、多かれ少なかれ「肌で感じている」と、その時代もごく身近に感じられますね。

逆に、「肌で感じて」いない時代というのは、どこか遠いもののように思えます。そして、頭の中で勝手なイメージで染め上げられてしまうことがあると思います。

その最たるものが、復古主義でしょう。

復古主義は、古い時代を理想的な時代だと考えます。これは東西を問わず昔からある考え方で、たぶん世界史的に最も有名なのは西洋のルネッサンスでしょう。ルネッサンス期には古代が黄金時代とされ、没落後の「中世」は暗黒時代とされました。

また中国にもこういう考え方があります。孟子は尭(唐)、舜(虞)、と夏、殷、周の三代を合わせた「唐廣三代」の時代を、古代の太平の世として讃えています。

また日本にも、古代の「上つ世」を理想的な時代と考え、これを無為自然の黄金時代とする思想が出現したことがあります。江戸期に国学者が唱えた神道の一流派「復古神道」です。

「復古神道」を大成させた平田篤胤(ひらた・あつたね)(wikipedhiaより)

これは、儒教や仏教などが渡来するよりも前の古代日本に復帰しよう! と強調する学派で、荷田春満(かだ・あずままろ)、賀茂真淵(かも・まぶち)、そして完成者と言える本居宣長(もとおり・のりなが)までの系譜を持っています。

宣長が批判したのは、日本書紀の記述に対する解釈があまりにも儒教の影響を受けすぎていることに対してでした。それは「漢心(からごころ)」による解釈だとして、大陸文化が入ってくる前の日本文化の心に帰ろう、と主張したのです。

彼が尊重したのは『源氏物語』『万葉集』『古事記』です。どれも古典中の古典ばかりですね。こうした作品群の価値が強調されたのです。

理想主義、美化、そして金田一耕助

復古神道の考え方がどこまで的を射たものかはさておきます。さすがに、大陸文化が流入してきた後の日本、つまり「中つ世」は堕落した時代なのだから、天皇を中心的存在として人の道を探っていこう……という主張は今の時代にはちょっとそぐわないでしょう。

実際、復古神道の考え方は、学問と信仰が混然一体となっているようなところがあります。黄金時代とされる上つ世のイメージはあまりにも理想化されすぎていて、どう考えても当時のありのままの姿ではありません。

今「理想化」と書きましたが、こういう復古主義は、東西に限らず、歴史上あるいは伝統上の過去に理想を見出す立場で、実は「理想主義」の一種だといえます。

さて、このように見ていくと、人間って大昔から「過去に対する勝手なイメージ」を何かしら持っているもので、エンタメの世界や学問的な世界で、特定の世代が抱いているそうしたイメージがある時に思いがけず噴出してくるものなのだと分かりますね。

こういう例は、スケールの大きなものから小さなものまで、本当に多いです。太平洋戦争の美化、明治維新の美化、江戸文化の美化、「三丁目の夕日」の時代の美化、幻想としての共産社会、ムラ社会に対するノスタルジー……。

知覧特攻平和会館

もちろんイメージはいくら持っていたって構いませんし、そういう豊かなイメージが文芸の分野で素晴らしい作品を生み出すこともあります。

だけど、豊かなイメージというのは、正確で細やかな知識と情報によって裏付けられてこそ、より豊かになっていくのではないでしょうか。自分の持っている勝手なイメージに対する自覚と学びを大切にしたいものです。

というわけで、今こそすべての日本人に問います。あなたにとっての「金田一耕助の時代」はいつでしょうか?

日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan

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