「巌流島の戦い」の真実。宮本武蔵が倒した佐々木小次郎は70歳のおじいちゃん? (2/2ページ)

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現在の巌流島(Wikipediaより)

勢源が仕えた朝倉氏は信長によって1573年に滅亡している。小次郎が60~70年代に福井で剣術を身につけたのだとすれば、その時点である程度の年齢となる。巌流島の決闘時には、少なくとも武蔵より何回りも年上であった可能性が高い。

決闘の真相は

巌流島の決闘の結末は、一般に武蔵が小次郎を討ち倒したと伝わる。巌流島の決闘を記した書物は多いが、現在まで語り継がれている内容は様々であり真相はわかっていない。

伝承の一部

・武蔵は小次郎を仕留めきれず、代わりに連れてきていた弟子たちがとどめを刺した(沼田家記)

・小次郎の長刀に武蔵は木刀で応戦した(二天記)

・小次郎から挑戦を受けた武蔵が櫂(オールのようなもの)を二つに折り、二刀の木刀として相対した(武将感状記)

この他にも多くの書物や伝承が残る。比較的記述にまとまりが見られる武蔵に対し、小次郎の人物像には不明な点が多く、名前や年齢もバラバラである。

ただし、決闘の結末については武蔵の勝利とされており、剣術に覚えのある2名による果たし合いがあった事実は間違いないようだ。

トップ画像: 宮本武蔵肖像(島田美術館蔵)

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