おごれる道長に鉄拳制裁!平安時代、藤原道長を殴り飛ばした女官のエピソード
「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 虧たることも なしと思へば」
【意訳】この世界は私のために存在していると思っている。まるで満月が欠けることがないように……
平安時代、権勢の絶頂を極めたことで知られる藤原道長(ふじわらの みちなが)。
気に入らなければ天皇陛下さえも退位に追い込んだという道長は、まさに向かうところ敵なし。
憎まれっ子、世に憚る……そんな道長が、ボコボコにされたことがあると聞いたら、少し痛快に思えるでしょうか。
今回はそんなエピソードを紹介したいと思います。
か弱い女官が道長の胸倉を……時は長保2年(1000年)、道長が療養していた姉の藤原詮子(せんし)を見舞いに行った時のこと。
「姉上、お加減はいかがでしょうか?」
「えぇ。今日は少し気分がよくて……」
今上陛下(第66代・一条天皇)の生母としてしばしば「国母専朝事(朝事=国政をほしいままに専横する)」などと批判され、道長ともども憎まれ役であった詮子でしたが、久しぶりに姉弟水入らずで、心安らかなひとときを過ごしていました。
「ギィエェ……っ!」
そんな中、静寂を劈(つんざ)く悲鳴と共に、傍で控えていた女官の一人・藤典侍(とうの ないしのすけ)が立ち上がると、いきなり道長の胸倉をつかみ上げます。
「うわっ、そなた一体何を!」
とっさに道長は藤典侍の手を振りほどこうとしましたが、体格も膂力も十分であったにもかかわらず、彼女の手はビクともしません。
もちろん藤典侍が特に筋骨隆々だったということもなく、ごく普通のなよなかで日ごろ大人しい女性でした。
「ぎゃぁ!」
次の瞬間、藤典侍は渾身の力で道長を殴り倒します。
「誰か……誰かある!」
道長や詮子らの悲鳴を聞きつけた人々が、何事かと駆けつけた間も藤典侍は道長を殴り飛ばし、また投げ飛ばしと大暴れ。
いいぞもっとやr……もとい、とんでもない事態に大わらわとなりながらもどうにか藤典侍を取り押さえると、彼女は魂が抜けたように気を失ったのでした。
終わりに「これはきっと、物の怪(け)に憑かれたに違いあるまい」
殴られた腹いせで女性を処罰するというのは、男性として実にカッコ悪いと思ったのか、けっきょく道長は藤典侍を不問に処したということです。
こうした物の怪に憑かれた女性の暴行被害は道長だけではなく相次いでいたそうで、当時の社会不安や貴族界でのピリピリした空気が影響していたのでしょうか。
「裏でコソコソしてんじゃねぇ、気に入らないなら堂々と殴り合え!」
陰湿な政争や堅苦しい貴族社会に対するストレスが、彼女たちを暴行に走らせたのかも知れませんね。
※参考文献:
繁田信一『殴り合う貴族たち』角川ソフィア文庫、2008年11月 堀江宏樹ら『乙女の日本史』東京書籍、2009年8月日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan