日本初の号外は彰義隊の「上野戦争」だった!そもそも何故、号外と呼ぶの? (1/3ページ)

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日本初の号外は彰義隊の「上野戦争」だった!そもそも何故、号外と呼ぶの?

号外の意味って?

令和の今でも、大きな出来事が起こると「号外」が配布されたりしますね。なぜ「号外」と呼ぶのか、不思議に思ったことがある人はいるでしょうか?

新聞の1面の欄外を見てください。右上に「第○○○○○号」と発刊の通し番号がふられています。しかし号外にはこの通し番号はふられないので、「号外」と呼ぶというわけです。

日本初の号外

号外の元祖と位置づけられる紙面は、江戸から明治にかけての1868年に出た、戊辰戦争を伝えるものとされています。

日本で最初の本格的な新聞とされる「中外新聞」が通常の紙面とは区別する意味から「別段中外新聞」として発刊したことが由来とか。

新選組で有名な隊士・原田左之助も参加したとされる、旧幕府側の有志部隊「彰義隊」。
この彰義隊が新政府軍が上野での戦いの末、敗れたことを伝えました。

中外新聞とは、1868年(慶応4)2月24日、柳河春三(やながわしゅんさん)が江戸で創刊した冊子型の新聞。日刊ではなく3、4日ごとの発行日のほか、『中外新聞外篇(がいへん)』23巻を出していましたが、官軍が江戸に入ると佐幕派の新聞に厳しい許可制を敷いたので、6月8日第45号で廃刊しました。

その後翌年一度復刊しましたが、柳川が70年2月に亡くなると、同月廃刊となりました。

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