岩手県盛岡市の光台寺に残る「ムカデ姫の墓」の由来や伝説を紹介 (2/2ページ)

心に残る家族葬

1本目も2本目もはじかれてしまうが、とうとう最後の弓になった時、「南無八幡大菩薩、加護を下し給へ」と祈り、屋の先に自分の唾を塗り、放った。(人間の唾液はむかでを溶かすと言われていた)3本目は見事ムカデ眼に突き刺ささり、白い炎が体を包み、燃やされていく。ついにムカデは灰になり崩れ落ち退治されてしまった。数日後、再び竜王の娘がやってきて、琵琶湖のそこにある竜宮城に案内され、たくさんの礼品を送られたのである。

■ムカデ姫と呼ばれることになった伝説

上述した通り、このような物語が残る祖先を持ち、尚且つその物語でムカデを倒した矢の鏃を持って嫁いだ於武の方であるが、その後不気味な伝説が残っている。数十年後、於武の方が亡くなった時にその遺体にはまるでムカデが這いまわったような不気味なアザが浮き出てきたという。きっと、鏃の中に籠ったムカデの怨念にちがいないと考えた利直公は、堀をめぐらせた墓を建てるよう命じる。(むかでは水を嫌うため)そして墓に通ずる橋をつくるも、たった一夜のうちに橋が壊されてしまう。その後も何度も橋を架け直しても、その度にムカデが出てきては橋を壊した。また、於武の方の髪の毛も片目の蛇となって石垣の間から出てくるようになったことから、いつしか於武の方をムカデ姫、 墓地を「ムカデ姫の墓」と呼ぶようになったのである。

■最後に…

光台寺は正式には「衆宝山 光台寺」と号する浄土宗の寺院で、盛岡三十三観音霊場の二十三番、三十三番札所になっている。盛岡城下絵屏風以外にも、阿弥陀如来立像は盛岡市内では珍しい平安期の藤原様式による古仏だそう。蓮台の上に立ち、通肩の衣装に見られる衣紋は、彫りの深い美しい波で表現された優作である。ぜひ、お近くに行った際には訪れてほしい。

「岩手県盛岡市の光台寺に残る「ムカデ姫の墓」の由来や伝説を紹介」のページです。デイリーニュースオンラインは、社会などの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る