岩手県盛岡市の光台寺に残る「ムカデ姫の墓」の由来や伝説を紹介 (1/2ページ)
岩手県盛岡市駅からバスで10分弱ほどの場所に光台寺(こうだいじ)というお寺がある。このお寺には、市指定文化財の盛岡城下絵屏風が所蔵されている。また不思議な伝説が残る源秀院殿墓所「ムカデ姫」の墓がある。ムカデ姫の由来と、それに関わる先祖の伝説を調べてみた。
■ムカデ姫こと於武(おたけ)の方とは
このムカデ姫は、源秀院、名は於武(おたけ)の方という人物である。於武の方は戦国武将、蒲生氏郷の養女であり、盛岡の街と城を建造した盛岡藩二代目当主・南部利直公の正室である。彼女は、利直公のもとに嫁ぐ際、先祖である俵藤太(藤原秀郷)がむかで退治に使ったと言われる矢の鏃(やじり)を持って輿入れしてきたという。その後、ムカデ姫と呼ばれる由来にはこの先祖が関わっている。
■於武の方の祖先のお話「俵藤太物語」
この物語は、俵藤太(たわらのとうた)の異名を持つ、藤原秀郷に関する伝説が書かれている。秀郷は平安前期に、平貞盛と協力して平将門の乱に将門を倒し東国を平定したことで有名であるが、この物語の中で三上山のむかで退治をする話が出てくる。その概要は次の通りである。
■俵藤太物語 俵藤太によるムカデ退治の話とは
あるところに優れた武を身につけた俵藤太という若者がおり、彼が武者修行で旅をしていた時の話である。ある時、琵琶湖に通じる道が混んでおり、人が全く動かない。なんとも大きい蛇が道をふさいでおり、怖くて通れない状態になっていた。しかし、俵藤太はまったく恐れず、その大蛇を踏みつけて通っていく。その夜、俵藤太のもとに美しい女性が現れた。彼女は実は昼間に踏みつけた大蛇であり、琵琶湖に住む竜王の娘だそう。話によると、三上山に住むムカデが魚を食い殺し困っており、誰か退治をしてくれる勇敢な者がいないかと大蛇の姿になり待っていたところ、恐れず通った俵藤太を強い武将と思い声をかけたという。それを聞いた俵藤太は、早速ムカデ退治に向かう。大弓を携え三上山に向かうと、雷鳴とともに、全身黒光りの巨大なムカデが現れた。その巨大さは三上山を七巻半もあり、剣も折れてしまうほどの体の強さを持っていた。残された弓は3本。