皇族や華族の子女たちを教育…学習院女子部のルーツ「華族女学校」は想像以上のすごさだった! (2/2ページ)

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ちなみに、外国語は「欧語学」と呼ばれる科目で、主に会話を重視した内容でした。

驚きの華族女学校

華族女学校 Wikipediaより

華族女学校には、現代からすると驚きの文化も。例えば、授業参観もそのひとつ。普通、授業参観というと、生徒たちの父母が授業の様子を見に来るものを指しますが、ここでは、学校に来たのは生徒の親ではなく、息子のお嫁さん探しをする父母やその息子本人たちでした。

そもそも、華族女学校の生徒は華族出身。どこの家の娘かもわからない、なんてことはなく、しっかりとした良家の子女でした。ですから、参観に来る上流階級の人々(参観は、誰でもが入れたわけではないようです)からしたら、息子のお嫁さん探しにはぴったりの場所であり、機会でした。

いかがでしたか?この記事が、みなさんが少しでも歴史に興味を持つきっかけになれば嬉しいです。

日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan

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