絶対に許さない!我が子の仇を討った豪傑・膳巴堤便の虎退治エピソード

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絶対に許さない!我が子の仇を討った豪傑・膳巴堤便の虎退治エピソード

虎退治と言えば、戦国武将の加藤清正(かとう きよまさ)が有名ですが、彼より千年以上も昔に朝鮮半島で虎を退治した豪傑がいました。

虎退治と言えば、加藤清正が有名だが……楊洲周延「朝鮮之役ニ清正撃猛虎ヲ」

その名は膳巴堤便(かしわでの はすひ)欽明天皇(きんめいてんのう。第29代)に仕えて武功を立てたと言いますが、一体どのような状況で虎を倒したのか、今回は彼の武勇伝を紹介したいと思います。

妻子を連れて、いざ百済国へ……

膳巴堤便は生没年不詳、膳大麻呂(おおまろ)の子として誕生、兄弟に膳傾子(かたぶこ。男性)がいました。

『日本書紀』によれば欽明天皇6年(545年)3月、百済国(くだら。朝鮮半島の古代王朝)へ派遣された時、妻と幼い一人息子を同伴したと言います。

「あなた、息子がいなくなってしまいました!」

「何だと!」

上陸した一行が海岸で野営していた夜のこと、妻から報告を受けた巴堤便でしたが、大雪が降り始めたため捜索を断念。

「どうか、無事でいてくれ……!」

翌朝、雪がやんだため、刀を帯びて甲冑に身を包んだ完全武装で息子の捜索に出発した巴堤便は虎の足跡を発見、辿っていくとその巣穴を探し当てます。

もしここに息子がいたとしても、きっと生きてはいないだろう。ならば、せめて仇をとってくれよう……そう思い定めた巴堤便は巣穴の奥に進み、中の虎に挑みかかりました。

膳巴堤便、息子を食った虎を殺す。菊池容斎『前賢故実』より

「畏き神は我に愛しい独り子を与え給うたが、それを奪われた以上、命を惜しんでも意味がない。なぜならば勅命を奉じてあらゆる艱難辛苦を乗り越えるのは、ひとえに我が子を愛し、使命を次世代を受け継がせるためだからである」

【原文】……(前略)……敬(つつし)みて糸倫(みことのり)を受け、陸海(くぬがうみ)に劬労(たしな)みて、風に櫛(かしらけず)り雨に沐(ゆあみ)して、草(かや)を藉(まくら)し、荊(しば)を斑(しきい)にすることは、其の子を愛(め)でて、父(おや)の業(わざ)を紹(つ)がしめむが為なり……。

※『日本書紀』より

巴堤便は跳びかかって来た虎の口に手を突っ込んでその舌を引っ掴み、右手の刀で刺し殺すと、武勇と報復の印として全身の皮を剥ぎ取ります。

「こんなものを持ち帰ったところで、虚しいばかりではあるが……」

かくして同年11月、任務を果たした巴堤便は百済より帰国、欽明天皇に事の次第を報告したということです。

終わりに

以上、任務に妻子を同行したために我が子を虎に食い殺されてしまった膳巴堤便の武勇伝を紹介しました。

これだけ聞くと「危険な場所へ妻子を連れていくから、こんなことになるんだ」と思ってしまいますが、それは「日本にいる方が確実に安全」という現代的な感覚であり、妻子を任せられるほど頼もしく信用に足る縁者がいなかったのかも知れません。

我が子の仇をとるためならば、どんな猛獣であろうと立ち向かう(本当なら、守りたかったところでしょうが)。そんな巴堤便の姿は、今も昔も変わらぬ親心を示しているようです。

※参考文献:

宇治谷孟 訳『全現代語訳 日本書紀 下』講談社学術文庫、1988年8月 佐伯有清 編『【新装版】日本古代氏族事典』雄山閣、2015年9月

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