歴史に翻弄されてきた天皇家!それでも日本政治の「中心」であり続ける存在感

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歴史に翻弄されてきた天皇家!それでも日本政治の「中心」であり続ける存在感

「天皇」の磁力

天皇家って、なんだか不思議です。

現代の日本で生活していると、大多数の人は天皇家の「権威」「高貴さ」「尊さ」という言葉にはあまりリアリティを感じていないと思います。

そういった天皇家の価値を強調する立場の人もたくさんいますが、あえて強調しなければならないほど、天皇家に関するイメージが大衆化したのは間違いないでしょう。かと言って「象徴」と言われても、それはそれでよく分かりませんしね。

皇居

しかし、やっぱり日本史を学んでみると、天皇家というのは歴史上の要所要所で必ず何らかの形で影響力を発揮してきたことが分かります。

その影響力とは、さしずめ「磁力」のようなものです。天皇家が望むと望まざるとに関わらず、日本人の意識はある時にそこに引き付けられ、またある時には一定の距離を保ちつつもやっぱりどこかでつながっている、そんな位置関係であったのだと思います。

今回はそんな「天皇」の成り立ちについて、ごくごく簡単に振り返ってみたいと思います。

天皇と日本政治の関係

まず、初代天皇と言えば神武天皇です。日本最古の歴史書である『古事記』に、いわゆる太陽神とされる「天照大神(アマテラスオオミカミ)」の子孫として記されています。

神が天界から地上に降りてきて、国を収めた「天孫降臨神話」。その神たる天照大神の子孫が神武天皇なのです。

畝傍山の麓の「橿原宮」。神武天皇が豊かで平和な国づくりのために創建したとされる

古代では「大王」として権威を持ち、その後も鎌倉時代以前までは公家と一緒に政治を執り行ってきた天皇家。しかしそのうちに武士が権力をもち、政権を奪われました。

後醍醐天皇の代で「王政復古」が目指されますが、現実に即した政治を行うことができなかったため、武士たちの不満を抑えられずにごく短期間で終了します。結局その後は江戸時代が終焉するまでずっと、日本は武士の時代、武家社会が続きます。

そして明治時代になり、新政府は「日本の国家宗教」を何にするか? という問題について悩みます。今の時代の目線で考えてみると、国家の統治機構の中に「宗教」が組み込まれているというのも奇妙に感じられますね。

当時の「国づくり」は欧米のやり方をお手本としていましたから、仏教や神道の他にもキリスト教徒という選択肢もありました。しかし新政府はどれも難ありとして、最終的に選んだのが『古事記』でした。

ここで、「古事記の内容を事実とする」ことで、いわゆる王政復古の大号令が明治天皇によって発令。国家神道の誕生です。この発想自体はひとつの発明で、良し悪しはともかくとしてものすごいアイデアだったと言えるでしょう。

しかし第二次世界大戦後は、こうした考え方も廃止されました。この思想自体が軍国主義に利用されたから、というのがその理由です。

翻弄されてきた「天皇家」

こうしてみると、天皇家というのも古代からずっとその権威を保ってきたわけではなく、時に武家社会からのけ者にされ、近代化の折には持ち上げられ、外国人からは処断され……と、時代や権力者に翻弄されてきた側面も大きいことが分かりますね。

春の二重橋

一方で、そんなふうに変転する天皇の存在意義について、庶民も最終的にはおおむねゆるやかに受け入れているのも興味深いところです。

今では天皇と言えば、もちろん日本という国の「象徴」なのですが、天皇家全体はマスコミの飯のタネになっている感があります。しかしそれも、ある種の特異な歴史を背負ってきた天皇家という存在だからこそです。

とにかく「天皇」という権威的な存在・あるいはイメージが、これほど長い間保たれ続けている例は世界中でも他の例をみないそうです。時代に翻弄されながらもこうして存続していること自体が「神のなせる業」といえるでしょう。

参考資料
・日本経済新聞「イチから分かる天皇の歴史 古代~現代まで」(2019年5月2日付)
家樹

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