秀吉を挑発し激怒させた逸話も!徳川四天王の一人、戦国武将・榊原康政の生涯と人柄に迫る (2/2ページ)

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豊臣秀吉像

また、関ヶ原の戦いについては、当時、徳川秀忠についていた榊原康政はまさかの大遅刻。これは真田昌幸との想定外の戦いなどの理由がありますが、家康は怒ってしまいました。

その後老中となりましたが、1606年(慶長11年)に亡くなってしまいました。

榊原康政の人物像

榊原康政

榊原康政は、幼いころから勉強が好きで、書く字も非常に上手だったといいます。このことから、家康の書状も書いていました。

また、関ヶ原の戦いで遅刻したあと、怒る家康に秀忠が対面できるように取り計らい、このことについて秀忠は、『子々孫々に至るまでこの恩は忘れない』という書状を与えています。

いかがでしたか?今回は、徳川四天王の一人である榊原康政について、彼の波乱万丈な人生や人柄についてご紹介しました。

この記事が、みなさんが少しでも歴史に興味を持つきっかけになれば嬉しいです。

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