評判最悪のダメ将軍…だったのか?室町幕府8代将軍・足利義政の真意と実像は (3/5ページ)

Japaaan

細川勝元(Wikipediaより)

後世から見てもむちゃくちゃに見えるくらいですから、しまいには当事者たちも何がなんだか分からなくなっていました。何が目的なのか、何をどうすれば勝利者としてこの戦乱を収めることができるのか誰にも分かりません。こうして戦乱は全国各地に広がっていきます。

そんな中、将軍の義政は趣味に耽っていました。

やがて文明5年(1473)に細川勝元と山名宗全の両名が死ぬと、義政も将軍職を義尚に譲って隠居します。一応、まだ政治的な影響力は残していたため、義政は「東山殿」、義尚は「室町殿」などと呼ばれていました。

義政が完全に引退したのは、応仁の乱が終結してからでした。

彼は東山山荘(東山殿)を造営して銀閣を建立し、絵画や能楽など文化的な活動に力を注ぎ、芸能・芸術に携わる人たちへの支援を積極的に行います。

初花、九十九髪茄子といった茶器がつくられたのもこの時代です。義政の支援で栄えた文化は「東山文化」と呼ばれ、日本文化の伝統の「わび・さび」の世界はここから始まっていきました。

義政の別荘は今でいう「銀閣寺」です。

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