聖徳太子もとい「厩戸皇子(うまやどのおうじ)」って何をしてたの?その真の業績にスポットを当てる (2/3ページ)

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斑鳩宮のような宮殿は、当時、王族の中でも特に有力な王位継承者と目された者だけが住むことが認められていました。厩戸はここに居住するのと同時に、財産の管理・運営を行いました。今で言えば「官邸」のようなものです。

法隆寺東院伽藍・夢殿。聖徳太子の斑鳩の宮の跡とされる

少なくともこの時点では、厩戸の地位や役割はかなりのものだったに違いありません。

『日本書紀』の記述通りなら、20歳で政治の世界に関わるようになってから、彼は10年ほどで大出世を遂げたと考えられます。

聖徳太子は○○大臣?

では具体的に、30代になった厩戸はどのような役割を負わされていたのでしょうか。

これは、斑鳩という地域にヒントがあります。例えば当時の飛鳥は、推古天皇や蘇我馬子の本拠地でしたが、ここは当時の政治の中心でした。一方で斑鳩はどうだったかというと、ここは難波を介して中国や朝鮮半島と直結する位置関係にありました。難波は当時の国際玄関口であり、大和川や竜田道でつながっていたのです。

ということは、厩戸は当時の「外務大臣」だったのではないかと思われます。斑鳩宮という官邸を本拠地にして、ここで彼は大陸を相手に政治を行っていたのでしょう。

ちなみに教科書的な知識では、冠位十二階や憲法十七条は厩戸皇子が制定したとされていますが、その証拠はありません。聖徳太子という人物が実際にどういう役割を与えられ、何をやったのかというのは、意外にはっきりしていないのです。

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