聖徳太子もとい「厩戸皇子(うまやどのおうじ)」って何をしてたの?その真の業績にスポットを当てる (1/3ページ)

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聖徳太子もとい「厩戸皇子(うまやどのおうじ)」って何をしてたの?その真の業績にスポットを当てる

「本当は何をやってたのか」不明瞭な聖徳太子

今回は、後世で「聖徳太子」と呼ばれるようになる厩戸皇子(うまやとおうじ)という人物の、具体的な役職や仕事は何だったのか? というテーマです。

聖徳太子の肖像が描かれた一万円札(C一万円券)(Wikipediaより)

『日本書紀』によると、この厩戸皇子については「厩戸豊聡耳皇子を立てて、皇太子とす。仍りて録摂政らしむ。万機を以て悉く委ぬ」と書かれています。

これが、推古天皇(額田部皇女)が即位した西暦592年12月の翌年4月の出来事とされています。この「仍りて録摂政らしむ」の記述があったことから、厩戸はこの時にいわゆる「摂政」になったとされています。

摂政と言えば、後に平安時代の藤原氏が独占したあのポストです。ただこの解釈には現在、疑問が呈されています。

この文章、素直に読むと「政を録摂させた」と述べているだけです。録摂というのは「まとめる」「統括する」という意味ですから、摂政という役職に就いた、とは読めません。

またこの当時、574年生まれの厩戸皇子は当時数え年で20歳です。国政に関わるにはちょっと若すぎます。当時は政治に関わるには政治上の経験、人格的な成熟度が重要視されており、当時は30歳にならないとそういう意味では認められない傾向がありました。

というわけで、厩戸皇子が推古天皇の即位の直後に摂政という重要ポジションを任された、というのはちょっと怪しいのです。先述のような記述がある以上、おばの推古天皇の引き立てによって政治に関わるようになったのは間違いないのでしょうけど。

彼が確実に政治家としての手腕を発揮し始めたのは、30歳になった頃です。これも『日本書紀』に記述があり、彼は601年2月から斑鳩宮の造営を始め、32歳となる605年10月にはこの宮殿に引っ越しています。

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