”くせもの”は頼もしき者?武士道バイブル『葉隠』が伝える忠義の距離感とは (2/2ページ)
頼もしいというのは、調子のよい時はそばにいないけれど、いざ困難に見舞われた時にやって来て力を発揮する……そういう者は決まって曲者である。
……ちょっと話している先生(『葉隠』の口述者:山本常朝)もこんがらがっている気がしないでもありませんが、要するに「いつもはそばにいないけど、ここ一番で必ず力になってくれる」そんな偏屈者がイメージされます。
「殿、お呼びにございますか」ピンチの時、気づくといつも側にいる(イメージ)
で、力を尽くして困難を打開すると、感謝されるのが恥ずかしいのか、また何事もなかったかのように去っていく……主君に対してそんな距離感で忠義を尽くす私でありたい……という美意識というか憧れ?を持っていそうですね。
ちなみに、この章に登場する神右衛門(じんゑもん)とは代々の通称で、恐らくは父親の山本神右衛門重澄(しげずみ)でしょう。
「よいか、真に頼もしき家来というものは得てして曲者であってだな……」
一癖あるくらいでなければ主君のお役には立てない……父の薫陶を受けて、常朝も立派な曲者に成長したのでした。
※参考文献:
古川哲史ら校訂『葉隠 上』岩波文庫、2011年1月日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan