「三代目マムシ」の毒は死してなお回り続ける!?戦国大名・斎藤龍興の生涯 (2/3ページ)

Japaaan

つまり龍興からすれば叔母にあたるわけですが、道三は息子の義龍との諍いの末に戦死しているので、信長にとって美濃攻めは「亡き舅の敵討ち」という大義名分があるのです。

ならば信長以外の味方を確保しようと龍興は周囲を見回します。まず、隣国近江には浅井氏がいますが、これは織田方です。すでに信長は、自分の妹であるお市の方を当主の浅井長政に嫁がせて同盟を結んでいたのです。

この時点で、龍興は織田・浅井の二方面に敵がいる形でした。

では近江の六角氏はどうかというと、これは浅井氏との抗争に明け暮れ、斎藤氏の支援に割ける余力はない状態です。

こうして、龍興は家督を相続した直後から八方ふさがりの状態になります。

死後も影響し続けた執念

そんな龍興は、自身が信頼する家臣を寵愛した結果、家臣団の亀裂を招きます。

特に寵愛したのが家臣の「斎藤飛騨守」ですが、彼は日頃から言動が酷く、家中での評判もすこぶる悪い人間でした。

その結果、才覚ある家臣の竹中重治(竹中半兵衛)も見切りをつけたりしています。

竹中重治(竹中半兵衛)(Wikipediaより)

もともと斎藤家の家臣団と言っても、彼らは斎藤道三が下剋上でのし上がった時に味方になっただけの人間たちでした。深い忠義があって仕えていたわけではなかった彼らは、どんどん織田方へ流出していきます。

こうして人材不足と裏切りが相次いだ龍興は、織田の攻撃を防ぎきれなくなり、ついに美濃は織田家の支配する国となります。

しかし逃げ出した龍興は、なおも美濃再興の執念を燃やしていました。

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