愛する人の死に直面するとはどういうことか 葬儀の意義とは (2/3ページ)

心に残る家族葬

これは貧しい世界観であるともいえる。そこには「人生の意味」がない。人生のイベントはすべて偶然の産物ということになる。人生には意味がないという考えでは、悲嘆に耐えることは困難である。生死を単なる偶然と捉える者は悲嘆に陥ったとき依って立つものがない。「意味の喪失」は悲嘆者へのケア(グリーフケア)の大きな障害になる。

■葬儀の意義や効果

以前、葬儀の意義について書いた。葬儀は社会が歴史の中で培ってきたグリーフケアであるといえる。筆者はいわゆる「葬式仏教」と揶揄される仏教の役割を評価し、むしろ復興するべきであるという立場である。拙稿でも以下の引用をした。

「葬式は故人が亡くなったという事実を現実的に認識する機会となり、故人の人生を振り返ることができる点でも意義は大きい」

「多くの遺族を死の受け入れへ導く助けをする」(小西聖子/白井明美「『悲しみ』の後遺症をケアする グリーフケア・トラウマケア入門」角川学芸出版(2007))。

先日、筆者自身が葬儀に参列した。会席などを通じて数年ぶりに会う親族などと近況を報告する、親交を温めあうなど有意義な時間を過ごすことができた。これも死者が設けた場であるといってよいだろう。死者を語り死者を思う時間を共に共有する。通夜などは本来遺体を前に酒を飲み騒ぐ場であった。
しかし現代、特に都市部ではそのような通夜の光景は見られなくなっている。簡易化されつつある葬儀も参列者の心持ちひとつで内実は大きく変わると思われる。人間の心理とは形式によって左右される要素も大きい。スーツや礼服、道着などを着た時はラフな服装に比べ身が引き締まるだろう。形式は散逸する意識を固定する役割があるのだ。葬儀の簡易化による事務的形骸化は、葬儀本来の意味が失われつつある危うさを感じる。

本来、葬儀の場は現代人が失いつつある「あの世」や「魂」といった宗教的な世界観を見直す機会でもある。

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