武士なのに鎧の着付を間違えた?源頼朝の御家人・佐々木高綱のエピソード (2/3ページ)
大塚春嶺 「宇治川先陣争図」
以来、平氏や木曾義仲(きそ よしなか)との戦いで武功を立て、頼朝武士団の中核を担うのでした。
さて時は文治元年(1185年)、頼朝公が亡き父・源義朝(よしとも)の菩提を弔うべく鎌倉に勝長寿院(現存せず)を建立。
10月24日の落慶供養には高綱もスタッフとして参列、頼朝公の鎧を預かる役目を仰せつかります。
預かるとは言っても着ているため、さしづめ「生きたマネキン」あるいは「歩くハンガー」と言ったところでしょうか。
いざ有事となればいつでも頼朝公に装着していただけるための配慮ですが、御家人の中に「鎧の着方がおかしい」と指摘する者がおりました。
「あの。脇楯(わいだて)を胴の上から着けておられますが……」
脇楯とは右腋腹に装着して胴の隙間を内からふさぐ防具。胴の中に着ないとブカブカして効果が弱まるのはもちろん、外見的にも不格好です。
佐々木殿が何か指摘されている……せっかくの晴れ舞台にケチがついてしまったとばかり、御家人たちはザワつき出しました。
(あ。