コロナ禍の今だからお参りしたい!疫神を鎮め疫病退散にご利益がある今宮神社 【前編】

人類は現在、新型コロナウイルスという未曽有のパンデミックに襲われています。
人類の歴史は、感染病との戦いともいえます。しかし、ほとんどのウイルスは根絶にいたらず、ワクチンや薬剤で抑えながら共存という形をとっています。
そんな感染症に対し、日本人は古来より人智を超えたスピリチュアルなものに救いを求めてきました。それは、迷信を超越した人々の切なる願いの現れであったのです。
今回は、疫病退散にご利益が大きいとされる神社仏閣の中から、疫神を鎮めるために勧請された京都の今宮神社を2回にわたりご紹介します。【前編】では、なぜ疫病退散のために今宮神社が創建されたのか、その歴史と謂れをご紹介しましょう。
今宮神社が鎮座する場所には疫神を祀る社があった
明治に再建された今宮神社の本社。健康長寿や良縁開運を祈願する参拝者が多い。(写真:T.TAKANO)
今宮神社が建つ場所には、平安京(京都)ができる前から疫神を祀る社があったとされます。平安京の前の都であった平城京(奈良)は天然痘に悩まされた歴史がありました。特に、735年から約2年間にわたり大流行した際には、当時の日本の総人口の25~35%にあたる100~150万人が感染して死亡したとされています。
この時、当時の朝廷首班だった藤原四卿(藤原武智麻呂・房前・宇合・麻呂)をはじめとする多くの貴族が病死し、朝廷の政務が停止する事態に陥っています。天然痘終息後も社会不安が増大し、九州では藤原広嗣の反乱が起こりました。
天然痘の脅威は平城京だけにとどまらず、日本全国に及びました。奈良時代以前の京都は、帰化人系豪族の秦氏や古代豪族の賀茂氏が開拓を行い、その本拠としていましたので、彼らによってこの地に疫病を鎮めるための社が設けられていたのかもしれません。
そして、794年に桓武天皇により都が平安京に移されました。しかし、時代は変われど相変わらず疫病は治まることなく頻発し、多くの人命を奪っていったのです。


神輿に齋じ込めた疫神を具して、人々が踊り謳ったという船岡山。(写真:Wikipedia)
平安時代に入ると、うち続く疫病の流行を鎮めるために、平安京各地で盛んに御霊会が行われるようになります。今宮神社の紫野御霊会もその一つでした。
994年、一条天皇の命により、今宮の土地に祀られていた疫神を二基の神輿に齋い込めて船岡山に安置し、神慮を慰め、悪疫退散を祈願しました。これが紫野御霊会です。
老若男女が神輿に俱し、船岡山に登り、囃子に合わせて唄い踊り、病魔の寄れる人型を難波江に流しました。この神事が、平安時代から現在まで引き継がれ、毎年5月に営み続けられる今宮祭の起源となったのです。
ちなみに、今宮神社という名は、1001年に疫神を祀るこの地に新たに設けられた神殿三字ともども今宮と名付けられたことに由来します。以来、疫神を鎮める神社として朝野の崇敬を集めているのです。

今宮神社の拝殿。奥に見えるのが本殿。(写真:T.TAKANO)
【前編】はここまで。【後編】では、毎年4月に行われる「やすらい祭」と5月に行われる「今宮祭神幸祭」など、疫神を鎮める今宮神社の祭礼。そして、疫病退散にご利益があるとされる門前名物「あぶり餅」を紹介しましょう。
※今宮神社
住所:京都市北区紫野今宮町21
電話:075-491-0082
拝観:境内自由
◎参考文献
『京都札所めぐり 御朱印を求めて歩く 巡礼ルートガイド』[メイツユニバーサルコンテンツ(https://www.mates-publishing.co.jp/)・京都歴史文化研究会著(編集・執筆・撮影:高野晃彰)]
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