いまの鬼の姿、実は「神の使い」?鬼を追い払う存在がいつしか鬼になった理由 (2/4ページ)
この鬼については山の民や百済の移民だったのでは、と諸説ありますが、いずれにしても古来日本人は「自分たちとは異なる文化や習慣を持っている、外から来た人たち」を指して、鬼(モノ)とよんでいた節があります。
そのため、平安時代初期までは「モノ」と呼ぶ場合は人のことではなく、人以下の存在を指したそうです。その名残は現在でも「痴れ者」「悪者」「怠け者」などというように、人を「モノ」と呼ぶときは悪い意味が込められていますね。
オニを追い払うためにつけた恐ろしい仮面が、鬼として定着辞書にも鬼は「怨」の字が訛ったものとされているとおり、いつしかモノは怨霊の意味合いが強くなり、怨は漢字は鬼そのままに「オニ」と呼ばれるようになります。
そしてこのオニを追い払うために、神や仏の使いとして「オニよりも恐ろしい存在」として作り出されたのが、なんと現在の「鬼」の姿そのものだというのです。
オニやモノを追い払う存在が、いつしかオニそのものとして捉えられ定着してしまったということなのですね。
追儺式オニを追い払う儀式は「儺(おにやらい)」といい、『続日本紀』によると慶雲3年(7706年)に諸国で疫病が流行ったため、国事として執り行われたといいます。もともと中国伝来の儀式で、【黒の上着と朱色の裳、その上に熊の皮をまとい、4つの金色の目がある仮面】をかぶりました。
そして方相氏(ほうそうし)と呼ばれる役人が、多くの侲子(しんし)と呼ばれる手下を従え、大声で呪言を唱えて練り歩きます。
儺は毎年太陰暦の大晦日に行われる宮中行事として定着しますが、時代が下がるにつれ、鬼に対して使う「桃と葦の弓矢」を方相氏・侲子たちに向かって使うようになり、彼ら自身が鬼を示す役割へと変化していったようです。
そして方相氏が追われる様から「儺」に「追う」がつき、「追儺式(ついなしき)」と呼ばれるようになり、目に見えぬ鬼は「目に見える鬼」になっていったというわけです。
ちなみに追儺式に登場する鬼(方相氏)は、各地方の祭り(儀式)によって様々な変貌を遂げています。