愛の交わりは生きている証。愛する人と触れ合うことで感じる「生きる喜び」 (2/2ページ)
例えば自分がリョウのような立場になった時、愛する人との短い時間をどのように過ごせば良いのでしょうか。
リョウは、残りわずかな静香との時間をできるだけ楽しく、穏やかなものにしたいと感じました。
リョウにとって静香は最愛の存在です。死んだように淡々と日々をやり過ごしてきたリョウに「娼夫」という手段を与えてくれ、人としての心を持つ素晴らしさを与えてくれました。
だからリョウは、娼夫として育ててくれた静香に自分の姿を見てほしい、触れたい、抱きたいと提案するのです。
■愛する人に触れることで感じる「生きる」喜び
愛する人がもうすぐいなくなってしまう。けれど、その人に触れることで自分の命も危ぶまれてしまう。
相手に対する愛の重さが問われた時、私たちはどのように立ち回れるのでしょうか。自分の命を守りながら、できる範囲で相手に触れること。それも大切な愛であると私は思います。
いなくなる立場からすれば、自分の存在が相手を死に追いやるきっかけになるかもしれないなんて、死んでも死にきれないでしょうし。
一方でリョウが選んだ愛し方は、静香に対して「生きている」ということを最期に教えてあげています。
静香は、リョウと交わるあいだ「自分の身体をとおして誰かを感じて、何かを分け合うこと」と語っています。
残り少ない日々の中、日常の何気ない「生きる」という喜びを、愛する人に触れることで改めて感じられた静香は、とても幸せな最期であったのではないでしょうか。
ロウソクの火が消えるように、愛する人の命が消える時。相手への「触れ方」が問われます。
どのような形であっても後悔のないよう、どのような形になっても感情と理性をコントロールして、大切な人と接したいものです。
(文・イラスト:いしいのりえ)