薩摩藩の琉球侵攻により薩摩藩支配に苦しんだ島。知られざる与那国島の歴史 (1/2ページ)

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薩摩藩の琉球侵攻により薩摩藩支配に苦しんだ島。知られざる与那国島の歴史

みなさんは、与那国島に行ったことはありますか?日本最西端の島であり、自然も豊かで、ファンの方も多いのではないでしょうか。しかし、与那国島の歴史などはあまり知らないのではないでしょうか?

そこで、今回の記事では、そんな知られざる与那国島の歴史について詳しくご紹介したいと思います。

まずは与那国島についておさらい

与那国島は、日本最西端の島であり、日本の領土の中で東京から最も離れた島でもあります。地図を見るとよくわかりますが、台湾の北東に位置しています。

サトウキビ等が特に有名ですが、農業や漁業だけでなく日本の安全保障上も非常に重要な位置にある島でもあります。

与那国島の歴史―文献に登場する前―

与那国島東部から、4400年前と推定される遺跡が発掘されています(トゥグル浜遺跡)。不明点も多いですが、台湾やフィリピンと言った東南アジアに近い生活様式だったのではないかと言われています。

とはいえ、そこから3000年ほど歴史資料が途絶えており、疫病や自然災害による影響ではないかと考えられています。

与那国島の歴史―初めて文献に現れたのは―

1477年2月に朝鮮の済州島の住民3名が与那国島に漂着したという事件で、与那国島が初めて文献に登場します。この3人は他の島にも行きましたが、最も長く滞在したのが与那国島だと、『李朝実録』という膨大な資料に残っています。

また、このころにはサンアイ・イソバと呼ばれる女性首長が現れるころであり、勢力のある按司(豪族)が登場し始めたと言われています。

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