日本史上最高の貴族といえる藤原道長の臨終行事と浄土思想とは (3/3ページ)

心に残る家族葬

菩提流支は地面に唾を吐き「その通りにやれば何年かは長生きできるかも知れない。しかし、迷っている者が多少長生きしてどうなるのだ」と応えたという。曇鸞は仙経を焼き捨て浄土の教えに帰依した。浄土思想は教義上、現実否定の厭世的な方向に向きがちな危険がある。しかし何をどう思おうと死は必ずやってくる。その意味ではどの宗派よりリアルな思想だったのである。

■変わらぬリアルと極楽浄土

自身が建立した寺院と阿弥陀如来像。観相念仏と称名念仏。五色の糸、僧侶の読経。人臣を極めた大貴族ならではの極楽往生必勝の布陣である。もちろんこんなことは道長のような一部の人間にしかできない。浄土思想はこの後の鎌倉時代に法然、親鸞、一遍らによって、称名念仏のみの易行として昇華し万人を救った。念仏さえあれば臨終行事ができるようになったのである。
人は必ず死ぬ。これが道長のリアルである。法成寺も道長の死後30年と経たずに焼失した。極楽浄土は最新科学が届かない彼方に存在する。このリアルは1000年後の今も変わっていない。

■参考資料

■三橋正「藤原道長と仏教」『駒澤短期大學佛教論集駒澤短期大學佛教論集』第4号 駒澤短期大学仏教科(1998)
■山中 裕「藤原道長」 (人物叢書)吉川弘文館(2007)
■塚本善隆・梅原猛「仏教の思想 8 不安と欣求 中国浄土」角川文庫ソフィア(1997)

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