うっ、恥ずかしい……。「悲劇のヒロイン気分」に酔った人の末路 (2/3ページ)
ある冬の日。はっきり覚えているのはカーディガンを着ていなかった自分の姿で、その時も美術室で彼の横にいたのだが、「はい」と言われて差し出されたのは、彼が着ていた学ランの上着だった。
何と答えて受け取ったのかは忘れてしまったが、袖を通したときに感じた温かさと、彼のにおいと、その大きさを覚えている。胸がぐぅっとふくらむような熱を、まだ思い出せる。
彼が初めて見せた好意のカケラ。私は勝手にそう思ってしまった。そして、私の「好き」が歪んだのもこの瞬間だったのだろう。
■切なさに酔う私の“見苦しさ”
実際に何があったのかは当時のノートに書いていなかったが、それから私と彼の間に距離ができ、しばらく口をきかない期間があった。彼に会えないことや話しかけてもらえない自分への苦しさを綴る文章には今の私でも共感はできるが、目をそらしたいのは「切なさに酔う自分」だ。
今日も彼に会えますように。 ああ、またバイバイが言えなかった。無視された。 どうして私を見てくれないの。
そこにいる「悲劇のヒロインを気取る私」は、ひたすら「好かれたい」を認めようとしない幼稚さがあった。
「自分から声をかけろよ、アホか」
哀れさばかり訴える文章からは醜悪な自己愛が見えて、目をそらしながら出るのはこんな正論だ。
そして思い出す。廊下ではち合わせしたときの彼の気まずい表情と泳ぐ目線、硬直して言葉を失う自分。その場をすぐに離れるのは常に私の方で、一緒にいる友人たちから不審がられたり冷やかされたりするのも、お互いに目にしていたはずだ。
そして、そんな行動がどんどん相手を遠ざけるばかりになる。ああ、苦しい。学ランを貸してもらえた、たったそれだけの事実で“好かれたくなり”、見苦しく仲を歪めてしまう自分が、痛々しかった。
■イタい恋から得た教訓「相手の気持ちを置き去りにしない」
こんな葛藤がどうなったか、ノートには「そのままでいればいいと言われた」と書いてある。