うっ、恥ずかしい……。「悲劇のヒロイン気分」に酔った人の末路 (3/3ページ)
放課後、靴箱で図書室帰りの私は彼とばったり会い、その時に会話したらしかった。
握手をした、と。大きな手だったと。読み返すと今もヒィーッと紅潮するこんなシチュエーション、いったいふたりの間に何があったのか。
彼は、静かに私を受け入れてくれていた。駅まで一緒に歩くと言う私を断らず、私のマシンガントークを「聞け」と低い声で遮るが、その後は「あんたの方がいい」と褒めてくれて、珍しく雪が降った日は私に「教えたくて」と電話をくれて……そんな記憶がノートにはたくさん記してある。
好きでいてくれたのだ。彼なりに。書いたくせに、分かるはずなのに、私は彼の姿から目をそらし、「彼が好きな自分」しか見ていなかった。
最後まで、ノートには「好きに翻弄される自分」しか書いていない。告白する自分はいない。関係を進める勇気は微塵も持っていない。
そして、彼とは付き合うことなく終わった。相手の気持ちを置き去りにするのは、残酷なことだなと思う。言動にはメッセージが含まれる。そこには「好き」がある。決定打を避けるのがお互いさまだとしても、言葉より雄弁に語るアプローチと、そこに込められた気持ちは、「受け止めたよ」まで返すことができればいい。
置き去りにされたら寂しさを覚えるのもまた、お互いさまなのだ。
いくつになっても、好きな人に好かれるのは奇跡だと思う。ずるいオトナになれば、なあなあで始まる交際もあるのだが、本気で好きになった人ほど「相手からも思われること」がいかに難しいかがわかる。
だから奇跡なのだ。好かれて当たり前ではない、という事実は忘れずにいたい。相手の気持ちを置き去りにしないのは、「好かれる自分」をきちんと受け止めることと同じ。手を取り合える幸せは、相手と自分を慈しむ貴重な機会なのだと自覚していたい。
(文・ひろたかおり、イラスト・菜々子)