藤原秀衡と源義経を繋いだ男!金商人にして武士でもあった「金売吉次」とは?【その3】 (3/5ページ)

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景光=金売吉次がどれだけ義経から信頼を受け、心を許されていたかがわかる状況です。

義経、再び奥州藤原氏を頼る

平泉(出典:ウィキペディア)

頼朝と対立する義経の状況は日を追うごとに悪化していきます。『玉葉』の文治2(1186)年9月20日の条の記載を見てみましょう。

堀景光は当時、京の都にいました。同地で鎌倉方の御家人・糟屋有季が堀景光を発見。身柄を拘束されてしまいました。厳しい拷問を受けたようで、景光は義経について自白を始めていきます。

義経が奈良の興福寺に身を隠していたこと、景光が使者として藤原範季と連絡を取り合っていたことなどが明るみに出ました。しかし肝心の義経一行の足取りは掴めません。むしろ景光は、義経の行方については隠し通しつつ、奥州に行くまでの時間を稼いだ可能性もあります。

実際に義経は奥州藤原氏のもとに身を寄せ、再び秀衡の庇護を受けていました。当時、奥州藤原氏は頼朝ら鎌倉方と対立関係に入りつつありました。秀衡からすれば、頼朝と対峙するために義経の能力は是非とも欲しいところです。

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