藤原秀衡と源義経を繋いだ男!金商人にして武士でもあった「金売吉次」とは?【その3】 (4/5ページ)

Japaaan

金売吉次の最期

陸奥国(出典:ウィキペディア)

堀景光=金売吉次は、その後どうなったのでしょうか?敵方に捕縛された以上、堀景光の扱いも決して楽観視できるものではありません。しかし処刑された、という形跡はありませんでした。

金売吉次としての最期は伝わっているのでご紹介します。『白河風土記』によれば、承安年間(1171〜1174年)に皮籠村において、京から奥州への帰途、群盗に襲われて殺されたそうです。金売吉次の方が伝説だとして、実際の堀景光の方はどう処遇されたのでしょう。義経の郎党である佐藤忠信や伊勢三郎らも、鎌倉方に次々と発見されて殺害されています。伝説が本当でなくとも、堀景光もおそらく鎌倉方によって処刑されたことは想像に難くありません。

義経と奥州藤原氏が滅ぶ

義経最期の地とされる義経堂(出典:ウィキペディア)

文治3(1187)年には、頼朝ら鎌倉方は奥州に義経がいることを察知。同年には庇護者である藤原秀衡が病没し、義経は庇護者を失いました。

「藤原秀衡と源義経を繋いだ男!金商人にして武士でもあった「金売吉次」とは?【その3】」のページです。デイリーニュースオンラインは、金売吉次源義経奥州藤原氏平安時代カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る