藤原道長の命を奪った恐るべきアノ病の正体…。平安貴族の栄華もやっぱり健康が基本!
「平安貴族代表」・藤原道長の命を奪った病
平安時代、豪奢な生活をしていた貴族の中でも、とくに有名な人物を一人挙げろと言われたら、多くの人が藤原道長(ふじわらのみちなが)の名前を出すのではないでしょうか。
道長は『源氏物語』の主人公である光源氏のモデルとも言われています。
そんな「平安貴族の代表格」である藤原道長ですが、晩年は「ある病気」に苦しめられながら最期を迎えたことが知られています。
その病気とはズバリ、糖尿病です。
糖尿病と言えば、現代では有名な生活習慣病の一種です。病気としての知名度が高まったのはつい最近のことですが、その病気自体ははるか昔から存在していました。
そして平安時代の貴族は白米を主食としており、食事も豪華なものでした。藤原道長も、その溢れる栄華を象徴するように美酒美食に明け暮れていたといいます。
彼ら平安貴族は、食事における盛り合せの美しさや品数の多さを重視していました。現代のように、栄養バランスを考慮しようという頭はなかったと思われます。
例えば、道長は「蘇」という、古代のチーズと呼ばれる食べ物を好んでいたといいます。
もっともこの蘇は、チーズといっても発酵はしておらずキャラメルのようなものだったため、非常に高カロリーでした。
その蘇を、道長はハチミツや甘栗と一緒に食べていたといいます。
甘いものが好きな人にとってはたまらない食べ方でしょう。
しかし、100グラムで400キロカロリーはあったとされる蘇を、そんな風に好き放題に食べるような生活を続けていたのでは、身体がどうにかなってもおかしくありません。
しかも運動不足でした。現代の医者や管理栄養士でなくても、これは「ああ、それじゃ……」と察してしまうところでしょう。
病は時代を超える彼が美酒美食に走ったのは、権力闘争でたまったストレスのせいもあったのかも知れません。
50代を過ぎる頃には、しばしば喉の渇きを訴えて水を欲しがり、身体は痩せて目も見えづらくなっていたそうです。このことは、藤原実資という人の日記に書かれており、典型的な糖尿病の合併症の症状です。
道長は、これらのことが原因となり敗血症に陥って多臓器不全で他界したと考えられています。享年62歳。
ちなみに、世界史上、最も古い糖尿病の記録を辿ると、紀元1世紀のローマまで遡ることになります。
今は治療法が見つかっているため、この病気にかかったからといって、すぐに亡くなってしまうとは限りません。しかし、当時のローマではもちろん治療法はなく、一度かかった患者は短命だったそうです。
当時のローマの記録書に糖尿病という病名は登場しません。
が、その病気とおぼしき記載がなされている本によると、その病の患者は、摂取する水分の量よりも多く尿が出るようになり、水を飲むことを控えているとたちまち口がからからになったそうです。
そして悪心(吐き気)やのどの渇きが酷い状態で亡くなることが多かったとされています。
現在の糖尿病も、喉の渇きや頻尿が典型的な症状とされています。1型は遺伝から来ることが多いですが、2型糖尿病は著しい運動不足や、太り過ぎの40歳以上の人がかかることが多いです。
日本で糖尿病が生活習慣病になったのは、欧米の食事が増えたことにより増加したと考えられています。
ローマや藤原道長などというと、何世代前の人たちなのか数え切れないくらい昔の話のように感じられます。しかし人間の体や病気、そしてそれについての悩みや苦しみというのは、時代や場所を超えても変わらないものなんですね。
参考資料
ものがたりする平安 BEST TiMES(ベストタイムズ) 知りたい!糖尿病 糖尿病サイト日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan