【鎌倉殿の13人】独りじゃないよ!流人時代から頼朝に仕え、気にかけた者たち【前編】

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【鎌倉殿の13人】独りじゃないよ!流人時代から頼朝に仕え、気にかけた者たち【前編】

頼朝「小四郎。お前は、わしと坂東なら、どちらを取る?」
義時「……(困惑)」
頼朝「もうよい。とどのつまりは、わしは一人ということじゃ。流人の時も、今も
盛長「佐殿!(頼朝の元へ駆け寄ってくる)」
頼朝「……あれがおったか(苦笑)……どうした」

※NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」第9回「決戦前夜」より

時は治承4年(1180年)10月20日、富士川の合戦に勝利した(と言うより、平家の軍勢が勝手に逃げ出した)勢いで一気に上洛したい源頼朝(演:大泉洋)に対して、さっさと所領に帰りたい御家人たち。

水鳥の羽音に逃げ出した平家の軍勢。このまま一気に上洛したい頼朝だったが……。竹内栖鳳「富士川大勝図」より

にっくき父の仇・平清盛(演:松平健)を一刻も早く討ちたいのに、そんな気持ちを誰も解ってくれない。

弟と思っている(第2回参照)目の前の北条義時(演:小栗旬)さえも、結局は自分をよそ者と思っている「坂東武士」なのだ……そんな寂しさを滲ませていたのが、強く印象に残りました。

流人の時から、幾万の軍勢を率いるようになった今も自分は独り……いや、藤九郎(演:野添義弘。安達盛長)がおったか……頼朝は乾いた笑いを浮かべます。

だがちょっと待ってほしい。佐殿あなた、実はそんな孤独でもなかったはずです。言っちゃ何ですが流人の分際で家来というか友達というか、そんな連中に囲まれながら暮らしていたじゃありませんか。

大河ドラマの都合上、彼らが割愛されるのは仕方ありません。が「本当の頼朝は、決して独りぼっちじゃなかった」ということを、どうか知っておいていただければと思います。

中原光家(なかはら みついえ。生没年不詳)

通称は小中太(こちゅうた)、何だかネズミみたいで可愛いですね。彼は中原家の長男(太郎)で、父も太郎(中太)だったため、息子の光家には小の字がついたのでした。

父親の存在は史料に登場しませんが、わざわざ呼び分けているということは、何かしらの関係があったものと考えられます。

文章が書けたことから文士(ぶんし。右筆)として仕え、以仁王の挙兵以降は藤九郎と共に御家人たちの参集を呼びかける使者として奔走。

石橋山の合戦にも従軍し、頼朝が鎌倉入りした後は中心街からちょっと離れた小坪(現:神奈川県逗子市)に館を構えます。

大河ドラマでは頼朝の侍女として堂々と御所に出入りしている(演:江口のりこ)を、そこに住まわせて(隠して)いたのでした。

伊豆から連れて来た亀の前。美しいばかりでなく、心のやさしい女性だったとか(イメージ)

「ちょっと、気晴らしに浜へ出て来るよ」

そんな口実でいそいそと出かけた頼朝は、昔からのヤンチャ仲間である光家と遊び、亀といちゃついたそうです。

「あー。ここなら政子の目も届かないし、落ち着くなぁ」

やがて気が緩んだのか、頼朝は「ここじゃ通いにくいから」と亀の身柄をもう少し鎌倉に近い伏見広綱(ふしみ ひろつな)の邸宅に移しました。

光家「大丈夫ですかい?伏見殿の館じゃいささか近すぎるかと……」

頼朝「いいんだよ。今までバレなかったんだから、心配ないって!」

しかしその油断が命取りとなって、亀との密通が発覚。牧の方(りく。演:宮沢りえ)の告げ口に激怒した政子は広綱邸を破壊し、それが鎌倉を二分する大騒動に発展します。

破壊された伏見邸(イメージ)

騒動は何とか収まったのですが、それだけでは気が済まない政子は広綱を遠江国(現:静岡県西部)へ流罪に処してしまいました。

(あぁ、気の毒に……しかし、それがしの家でなくてよかったわい)

内心、胸をなで下ろしていたかも知れませんね。

藤原邦通(ふじわらの くにみち。生没年不詳)

通称は藤判官代(とうの ほうがんだい)。判官代とは国衙(こくが。現代の都道府県庁的な役所)の下級役人で、土地の管理や年貢の徴収などを担当する役職(その代理・補佐)です。

大和国(現:奈良県)の国衙に勤めていたため「大和(やまと)判官代」とも呼ばれました。

元は京都洛中の遊び人(放遊の客)だったそうで、文筆や絵画、占いに歌舞音曲など多才に恵まれたと言います。判官代の経験から、政治的な実務能力にも長けていたことでしょう。

多芸多才だった藤判官代こと邦通(イメージ)

京都で何をやらかしたのか、各地をブラブラしていたところを藤九郎に見出されて頼朝に仕えます。

ちょっとチャランポランでも頭は良さそうですし、そこはかとなく漂う都の香りが、遠く伊豆国へ流された頼朝の慰めになったかも知れません。

文士として政治能力を発揮した邦通ですが、一番の魅せ場は頼朝の挙兵直前。

山木判官(兼隆。演:木原勝利)の館を狙うにしても、どこから討ち入ったものか……」

「へへ、ちょいとお任せ下さいよ」

そう申し出た邦通、何と大胆不敵にも山木館に堂々と乗り込んで行ったのです。

「どもども、藤判官代です~!」

ちょうど山木館では宴会の真っ最中、持ち前のチャラ男ぶりをいかんなく発揮して会場に溶け込んでしまいます。

兼隆「おぉ、来たか!そなたがおれば大盛り上がりぞ!」

「「「ウェーイ!」」」

邦通も邦通ですが、頼朝の挙兵(=自分が標的にされていること)を察していながら、その手先である邦通を無防備に招き上げてしまう兼隆も兼隆です。

……で、数日ばかり山木館に滞在した邦通はこれまた画才を発揮。まるで現地にいるかのような館の見取り図を描き上げたのでした。

頼朝「これは……才能のムダ使いじゃな」

盛長「……ですかな」

邦通の見取り図を活かして山木判官に勝利。初戦の凱歌を上げた。歌川芳幾「源平盛衰記 伊豆ノ国山木合戦」

しかしそのお陰で襲撃は成功。実際に戦った訳ではないものの、邦通の大殊勲と言えるでしょう。

【続く】

※参考文献:

細川重男『頼朝の武士団 鎌倉殿・御家人と本拠地「鎌倉」』朝日新書、2021年11月 市古貞次ら校注『曽我物語』岩波書店、1966年1月

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