プライドの高さゆえ晩年は孤独死…世界三大美女のひとり「小野小町」の生涯は波乱万丈だった

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プライドの高さゆえ晩年は孤独死…世界三大美女のひとり「小野小町」の生涯は波乱万丈だった

世界三大美女の1人として有名な小野小町(おののこまち)。

そんな小野小町ですが、生涯が謎に包まれており、小町伝説や悲惨な晩年など多くの話題が尽きない人物です。

そこで今回は、小野小町の生涯について簡単に紹介したいと思います。

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小野小町とは

小野小町(鈴木春信 画)

小野小町は古代エジプトの女王・クレオパトラ、中国唐代の皇妃・楊貴妃とともに世界三大美女として知られています。しかし、小町の生涯は謎に包まれており、出生日や本名なども不明です。

小野氏の出身だったということと、宮中の局町に住んでいたことから「小野小町」と呼ばれるようになったと言います。

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歌人として才能を開花させた小町

小町には和歌の才能があり百人一首に選ばれるだけでなく、紀貫之が称賛した六人の歌人「六歌仙」や、藤原公任が選んだ平安時代の代表的な36人の歌人「三十六歌仙」の1人にも数えられており、才色兼備の歌人だったことがわかります。

藤原定家や紫式部も小町の歌う和歌に注目していたそうで、世間からは「和歌の神様」としても称えられていたようです。

小町伝説

小町はあまりの美貌から多くの男性に好意を持たれるのですが、プライドの高さゆえ誰にもなびきませんでした。実際、小町の歌った詩には「自分の美貌を花にたとえて、美しさも色あせてしまった」と嘆くものが存在します。

そんな小町に恋い焦がれたとある男性が求愛したところ「百夜通い続けたら契りを結ぶ」と小町から告げられます。小町の言葉を信じた男性は、寒さの厳しい冬の夜道を毎晩徒歩で通い続けたましたが、九十九夜まで通ったところで凍死してしまったそうです。

小野小町(月岡芳年『月百姿』より)

この話は「小町伝説」と呼ばれ、謡曲に「通小町(かよいこまち)」や「卒塔婆小町(そとばこまち)」として度々上演され、世間から非常に人気の高い作品だったと言われています。

小町の最後

宮廷で華やかな生活を送っていた小町ですが、仕えていた天皇が崩御すると宮廷を去り日本各地を放浪する旅に出ます。

そして80歳の時に現在の京都市にある補陀洛寺にたどり着いて亡くなっていたそうです。小町の亡骸は野晒しにされた状態で発見され、白骨化した小町の目の穴からススキが生えていたため、風が吹くたびに「ああ、痛い」と叫んでいたのだとか。

そこに寺を訪れた僧が手厚く葬ったことで、成仏できたと言う言い伝えがあります。

補陀洛寺には小町の晩年の像が安置されていますが、絶世の美女と呼ばれた小町の面影はなく、あばら骨が浮き出た老婆の姿をしているそうです。

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