「怒るはNG、でも叱るはOK」に潜む身勝手さとは? (2/2ページ)
だからこそ、本書は「怒ること」と「叱ること」を区別することには意味がないとしている。それは叱る側が勝手に区別しているだけ(そもそもどうやって区別するのかという問題もある)であり、叱られる側からすれば相手が感情的に怒ろうと、自分のことを思って叱ろうと、苦痛で不快なのは変わらない。
これは、「体罰はダメだが厳しく叱るのは大切」という言説にも通じる。どちらも相手に苦痛を与えてコントロールしていることには変わりがないからだ。
そして、叱られた方は苦痛から逃げようとして、叱った側が望んでいる行動をとる。それは叱った側から見れば状態が改善されたように見えるが、叱られた側は「本来どうすればよかったのか」ではなく「叱られた時にどうしたらいいのか」というその場しのぎ方向に発想しがちだ。これは少なくとも叱った側が期待している効果ではないはず。これが叱ることが人を導くのに効果的ではない理由だ。
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問題は、あまりにも多くの人が叱ることの効果を信じて疑わないこと。そして叱ることが必要なことだと考えていることだ。
叱ることで何が達成できて何ができないのかに思いが至らないまま誰かを叱り続けることで、「叱らずにはいられない状態」になる人もいる。前述のように、叱ることには「権力の行使」という性格があるため、人によってはそこに快感や充実感が伴う。本書が「叱ることには依存性がある」としているのにはこんな理由がある。
「あなたのためを思って叱っている」と言いつつ、無意識のうちに叱ることの快感に依存している上司や教師、親がいる。子育てで、マネジメントで、誰かを叱っている人にとって耳が痛い一冊だろう。
(新刊JP編集部)